そして、俺と有紀寧との生活が本格的に始まった。
 その最初の営みとして、俺の座る食卓に有紀寧が作った朝食が一つずつ並べられていく。
 結婚生活初めての朝ご飯。なんとはなしに緊張するな……

「お口に合えばいいんですけど……」

 ちょっと緊張しているのは有紀寧も同じらしい。
 皿を並べる有紀寧は照れたように笑いながら、俺に箸を手渡してくれた。

「いや、これだけ作れればたいしたものだと思うぞ」

 並ぶ皿を眺めながら、俺は正直な感想を述べた。
 食卓には主婦就任一日目の手並みとは思えない程、短時間で沢山の料理が並べられていた。
 炊きたての白いご飯とお味噌汁。秋刀魚の塩焼きとほうれん草のおひたし。そしてだしまき卵までついている。
 素朴ながらも豊富なメニューだ。たいした手際の良さだと、正直思う。

「まだまだ修行中なんですけどね……」
「そ、そうか?」

 とてもそうには見えないぞ……これで修行中なら、お前はいつか世界の料理人でも目指す気なのか?

「形だけは一通り出来ますが……でも経験不足なんですよ、やっぱり」
「あの頃から料理はいろいろ作っていたじゃないか」

 資料室で、俺はしょっちゅう有紀寧の料理を食わせて貰っていた。
 俺だけではなく、春原にも不良たちにも何度も料理を作っているしな。
 あれでも経験が足りないとか言うのか?

「あの頃は冷凍食品ばかりでしたから……ちゃんとしたお料理って、なかなか皆さんに食べて頂くことが出来なかったですし」
「そりゃそうだろうな……」

 資料室のキッチンは有紀寧の手で頑張って改装されていたけど、さすがに冷蔵庫は無かった。
 当然だけど。
 だから、有紀寧の作る料理には、どうしてもクーラーボックスを活用した冷凍食品が多かった。
 有紀寧はそれでもいろいろ工夫していたようだが、冷蔵庫無しだとやはり出来ることが限られてしまうらしい。
 それが残念だと常々言っていたのだが……
 ある日、ついに不良どもの手を借りてばかでかい冷蔵庫を資料室に運びこみやがった。
 その冷蔵庫を嬉しそうに有紀寧が見せてくれた時は、マジで頭が痛かったな……
 案の定、教師に見つかって(隠せるような大きさじゃないからな)こっぴどく叱られてしまった。
 無理も無いことだが。

「ときどき、有紀寧って大胆なことをして俺を驚かせるよな」
「そうでしょうか?」

 そうでしょうかって。
 こいつ……資料室で俺におまじないだと言って膝枕をせがんだり、突然”抱いて欲しい”と言ったりしたことを忘れたのか?
 ……案外本気で忘れてたりして……

「普通、あそこまでして料理なんかしないと思うぞ」
「そうですね……」

 有紀寧は、『実は……』と前置きして、当時のことを俺に説明してくれた。

「朋也さんが、春原さんのお部屋で食事をしているとお聞きしたんです」
「あいつ、余計なこと言いやがって……」
「いつも春原さんのお部屋でコンビニのお弁当を食べたり、インスタントラーメンを食べたりしていたそうですね?」
「まあな……」
「そんな朋也さんに、どうしてもちゃんとしたお料理を毎日食べて頂きたいと、ずっと思っていたんです……だから、どうしてもなんとかしたくて。それであんなことをしてしまいました」
「……そうか……」

 俺が元凶だったのかよ……それでは怒るに怒れないな。

「先生方にはいろいろとご迷惑を掛けてしまいましたけど……でも、後悔はしてないです。あの時、数日間ですけどたくさんのお料理を、朋也さんに、そしてみなさんに食べて頂けましたから」
「そうだったな……」

 有紀寧は念願の冷蔵庫を手に入れて、大喜びで料理を作りまくった。
 当然俺と春原だけでは食い切れず、冷蔵庫を運んでくれた不良たちも含め、片っ端から人を集めることになった。
 そのおかげで、教師連中にも見つかってしまったわけだが。
 でも、有紀寧はその教師たちにも喜んで料理を振舞っていたな……
 処罰を免れたのは案外そのお陰だったのかもしれない。
 

 あの時強制撤去されてしまった大型冷蔵庫は、今はこの部屋に運び込まれている。
 何処かで大切に保管されていたらしいな……もしかしたら、今日のこの日の為に。

「あんな素敵な冷蔵庫、無駄にならなくてよかったです」
「お前、その為に俺と結婚したんじゃないだろうな?」
「クスクス……そうかもしれませんねっ」

 おいおい……さすがにそれは冗談だと思いたいがな……

「嬉しいのは、冗談ではないですよ? 朋也さんに食べて頂きたいお料理がたくさん、たくさんあるんです。これからは、毎日朋也さんにいろいろなお料理を食べて頂けることが、本当に嬉しいです」

 む……
 な、なんだかなあ……
 せっせと食卓を整える有紀寧の背中を見つめてしまう。
 有紀寧は俺の対面に座っているので、ここからは抱き寄せるには少し遠いんだよ……。そのちょっとの距離がなんだか惜しい。
 まあ、朝からそんなこと期待するのも不謹慎かな……

「よ、よし。じゃあ、さっそく頂くとするか」
「はいっ。お味に何か物足りない所でもあったら、何でも言ってくださいね?」
「物足りないこと……か……」

 有紀寧の料理にはなんの不満も無い。
 それどころか、実に丁寧な出来だとさえ思う。
 だが、俺にはさっきからずっと気になっていたことがある。
 料理そのものには不満は無いのだが……なにかその姿勢にちょっと物足りないというか……
 いや、ごまかしていても仕方ないな。ここは本人にはっきりと聞いてみよう。
 
「有紀寧、お前のその格好は一体なんなんだ?」
「はい?」

 俺の言葉に不思議そうに首を傾げる有紀寧だが……
 あえて言わせて貰えば、この状況を不思議に思って、理解に苦しんで、悩んでいるのは俺の方だからな。

 突然だが――――
 俺は男の夢というか理想の一つとして、若奥さんのエプロン姿というのが挙げられると思っている。
 なにも裸エプロンなんて大げさなことは言わない。
 若奥さんが、キッチンでエプロンを着て慣れない料理に勤しんでいたり、仕事から帰って来たときに、エプロン姿で出迎えたりしてくれたら、それだけで何かが満たされてしまう。
 そんな感情がどんな男にもあるのではないだろうか。

 しかしだ。
 俺は未だに有紀寧のエプロン姿を拝んでいない。
 それどころか、もしかしたら一生見ることは叶わないかもしれない。
 なぜなら、有紀寧は割烹着を愛用しているからだ――――
                              
               
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タイトル
〜第三章〜
                           
 
 
 


 かっぽうぎ。よく蕎麦屋のおかみさんが着てたり、あるいは小学生の給食係が着てたりするあれだ。
 有紀寧のような年頃の女の子が着てるのは、あまり見たことがないな。
 しかもだ。
 有紀寧が着てるのは、その中でも恐ろしくクラシックな代物で、袖も長くて全身をすっぽり覆う白の割烹着。
 エプロンドレスに併せて着るような今風のタイプではない。 
 まあ、言ってしまえば、一番地味で野暮ったいタイプの奴だ。
 しかも、頭にはしっかり三角巾を身につけて、完全武装とも呼べる装いだった。
 初めて有紀寧のその姿を見た時は、『そんなのありかよ!!』と激しくツッコミを入れてしまった。
 そんな俺に有紀寧は目を丸くしていたな。

 そして、その服装で主婦就任一日目から既に猛然と働いている。
 その姿は若奥さんと呼ぶにはあまりにも貫禄がありすぎて、なんだか俺が期待していたのと違う気がするぞ……
 俺が新婚生活というものに抱いていたイメージとだいぶんズレているような……
 いや、これは俺のつまらない幻想なんだろうな。

 まあ、最初はそう思って正直落ち込んでもいたんだけど。
 三日もするとなんか慣れてしまった。
 
「なんか、その格好見てると若奥さんというより”おっかさん”とか呼びたくなるよな……」
「まあ、朋也さんったら……」

 有紀寧は顔を赤くして俯いてしまった。
 いや、そこで何故照れるのか分からないぞ……

 そんな有紀寧の装いも、これはこれでなかなか味がある。
 現在では失わつつある日本人女性の趣を感じるというか……いや、ほんとはそんなもの知らんけど。
 とりあえず、おたまとしゃもじが似合いすぎる。
 でもなあ。
 
「その格好で朝から洋食ってのは、なんかずれてるけどな……」
「はい?」

 新婚生活三日目の朝食は、フレンチトーストとオムレツ、そしてヨーグルトだった。
 有紀寧の今の格好には激しく似合わない気がする……
 
 まあ、有紀寧が割烹着を好むのにも理由はあるようだ。

「エプロンでは、何かと不便なんですよねぇ……」

 主婦という職業は、真面目な性格の有紀寧にとっては手加減の出来ない重労働なのだ。
 服装に対するこだわりは、そんな所からきているのかもしれない。
 

 そんな有紀寧が頑張ってくれているおかげで、日々の生活がなんだか暖かい。
 干したばかりで太陽の香りがする柔らかい布団。
 皺一つなくピンと引き伸ばされたシーツ。
 今はそんなものに包まれた日々がある。
 そして部屋の何処にいても、キッチンで働く有紀寧の姿が見られる。
 そう思えば、六畳一間も案外悪くは無いものだ。
 世界で一番幸せを感じる景色かもしれない。


 そして今もまた、有紀寧が食後のお茶を淹れに来てくれた……のか?
 なにやら、お茶を入れた急須を傾けたり振ったり、さっきから妙なことをやっているが……

「お前、何をしてるんだ?」
「いえ……茶柱が立たないかなって思って、いろいろ工夫しているんですが……」
「はあ?」

 なんだそりゃ……

「茶柱ってのは、自分で意図して立てるものじゃないと思うぞ……」

 まあ自然に立ったら、それを幸運だと喜ぶものじゃないのか?
 でもおまじない好きな有紀寧は、こういうのも好きなんだろうか。

「それにそんなことしても、茶柱なんて立たないと思うぞ」
「やっぱりそうでしょうか……」

 有紀寧は残念そうに溜息をつくと、ようやく諦めたらしく急須を片付け始める。

「せっかくですから朋也さんに幸せになって欲かったんですけどねぇ……」
「………………」

 お茶を淹れ直して来ますね、と告げて有紀寧は台所に戻って行った。
 すぐに食事の後片付けを始める音が聞こえてくる。
 そうか……茶柱か……

「もう、幸せになったかも……」
「はい?」
「いや……有紀寧」
「なんですか?」
「そんな有紀寧のこと、愛してるぞ」
「まあ」

 少しの間、皿を洗う時間が止んで、またその音が再開する。
 その音を聞きながら、俺はふと思い出す。
 そういえば、今まで有紀寧に愛していると告げたことは無かったな……
 俺の愛の告白は言葉に工夫も無かったし、おまけに記念日でも無かったし。

 これは、ちょっとまずかったかな……
 そう思っていると、有紀寧は洗い物を終えてキッチンの方から戻ってきた。
 テーブルを清潔な布きんで丁寧に拭いて、いつも通り食後のお茶を入れ始めた。
 急須に入れたお茶を、茶こしで二回こしてから、『どうぞ』と俺に薦める。
 そして。俺が一口飲んだのを見届けてから、言った。

「朋也さん」
「何だ?」
「わたしも朋也さんのことを愛しています」

 ――そんな大切な日が、また一日が過ぎて行く―― 

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以上が『有紀寧のほのぼの新婚生活〜第三章〜』です。
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