はじけるこころ
第二章 

 有紀寧との初夜。
 或いは、夢のようなドキドキの夜になるかもしれなかった。生涯でたった一度の大切な夜。
 しかし、それは所詮夢であったらしい。
 今、現実の俺は小さなアパートの一室で、むさくるしい男達に囲まれ、望まぬ宴会主と成り果てていた。
 つーか、どうか今日だけはお帰り頂きたい。 頼むから。

「よう! 旦那! めでてえ日じゃないか! 祝い酒だ! 飲め飲め!」
「いや、明日から初出勤だし……勘弁してくれ……」
「なんだとぉ! 俺の酒が飲めないっていうのか?!」
「い、いや……そういう意味では……」
 
 それに、きっと一口でも飲んだら、倒れるまで飲まされるのは目に見えている。
 男どもはそんな俺の立場など『知ったことか!』と言わんばかりに、揃いも揃って酒をがぶがぶ飲んでいる。
 もし、俺が日本酒普及委員会の会長だったら、表彰状を出してやりたいほどみごとな飲みっぷりだった。
 こいつらの酒臭い吐息が降りかかるだけで、俺まで酔っ払いそうになる。

「いいかぁ……ゆきねぇのこと、幸せにするんだぞぉ……」
「あ、ああ……わかってる」
「泣かせたりしたら、マジ殺すからな」
「わ、わかってる……」
「ほんとに、殺すぞ……」
「お、おう……」
「殺す……コロス……」
「…………」

 最初は陽気に騒いでいた男たちだが、だんだん酔いが廻るにつれて殺気だってきたような気がする……
 本音が出てきたというか……はっきりいって、コワイ。
 ちょっと間違うと破裂しそうだ。

「こんなヘタレがゆきねちゃんの旦那に……」
「なんかの間違いだ……」
「ヘタレ……」
「殺す……」
「い、いやぁ……はは……俺はですね……」
「ヘタレ……」
「コロセ……」
「…………」

 だんだん目つきまで怪しくなってきた。
 みんな、とり憑かれたように同じことしか言わなくなっている。
 ああ……資料室に居た頃なら、このあたりで春原が口を滑らせたりして、俺の代わりに殴られてくれるのに……
 春原という弾除けを失った俺は無防備だった。
 とにかく、この状況は非常に危険だ。
 俺はご機嫌取りに神経をすり減らしつつ、奴らの酒盃に酒を注いで廻った。
 つ、疲れる……

 元々、昨日の夜は緊張してあんまり眠れなかったんだよ。
 しかも酒の匂いはきついし、こんな殺気に囲まれっぱなしで……
 俺はだんだん意識が遠くなってきた。
 ヤバイ……いま眠ったら殺されるかも……
 しかし、俺の抵抗もむなしく、死の恐怖に襲われながらも、意識は白い霞に閉ざされていくのだった……





 俺は夢を見ていた。
 夢の中で、白く輝く道を歩いていた。
 その道の周りには人が大勢いて、なにか俺に声を掛けていた。

「岡崎、おめでとう!!」
 これは春原の声。

「朋也、しっかりやりなさいよ!」 「お、岡崎くん、幸せになってください……」
 これは藤林姉妹かな?

「朋也……がんばれよ、これからだぞ」  
 これは……これは誰だろう……

 そんな声を受けながら、白く輝く道を歩いている。
 やがて、やたら広くて明るい場所にだどりついた。
 そこに、有紀寧が立っていた。

 清楚な純白のウエディングドレスを身に纏っていた。
 レースで細かな模様が縁取られた手袋を身に着けていた。
 床に着くほど長いスカートは、薄い生地を幾層にも重ねてボリュームを出している。
 
 美しい花嫁姿だった。

 有紀寧はうつむいて、俺が辿り着くのを待っていた。
 腕に抱いている青いブーケと、頭に被ったベールのおかげでその顔は見えない。
 そういえば、花嫁がベールを被るのは、夫以外の男性に決してその顔を見せないという宗教的な風習に由来するのだという。
 他の誰でもない、俺だけの花嫁。
 近づいて、そっとベールを払うと、恥ずかしげにうつむいた顔を見せてくれた。

「有紀寧」
「はい……」

 俺の言葉に、有紀寧は少し頬を染めて頷いた。
 その動きに長いベールがさらさらと揺れる。

 さらにもう一歩俺が歩み寄ると、有紀寧は静かに瞳を閉じた。
 誓いの口づけ。
 さっきから、緊張で心臓が早鐘のように鳴り続けている。

 俺は深く息を吐き出すと、有紀寧と唇を重ねた。


 そこで目が覚めた。

 すでに部屋は静けさに満ちていて、先ほどまでの宴会の名残は残っていなかった
 窓のカーテンを通して微かに青い光が差している。
 もう夜明けが近いのだろう。

「起こしてしまいましたか? 朋也さん」

 すぐ耳元から、澄んだ声が聞こえた。
 肩ごしに、温かい温もりを感じた。
 
「……ん……有紀寧……」

 声の主を求めて手をさ迷わせていると、その手をそっと暖かく握り返してくれた。

「ここに、いますよ」
「……ああ」

 俺は例の布団の中にいた。
 有紀寧も枕を並べ、俺と同じ布団を共にしている。
 きっと一晩中一緒だったのだろう。

「あいつら、帰ったのか?」
「ええ。みなさん、朋也さんに大切な用事が残っているとかで、まだ残りたがっていましたが……朋也さんがお疲れのご様子でしたので、お願いして帰って頂きました」
「それは……助かったな。お前に命を救われたのかもしれない」
「後で話がしたいそうですよ? わたしは抜きで」
「……勘弁してくれ……」

 そんな話をしながらも、心は別のことを考えている。
 有紀寧と布団を共にしていると、なぜこんなにも満ち足りた気持ちになれるのだろう。
 昨日は布団を見ただけで慌てふためいていたのに。
 さっきの夢のおかげかもしれないし……
 或いはもともと戸惑うことではないのかもしれない。
 有紀寧がこの布団でいいと言ってくれたことが、今更ながらとても嬉しく思えた。
 昨晩は躊躇していたのに、こうして一度温もりに触れてしまえば、二度と手放したくないと感じる。
 これからは、どんなに寒い冬であっても、寝床で凍えることは無いだろう。
 
「有紀寧、夢を見たんだ」
「どんな夢でしたか?」
「結婚式の夢だったよ、俺と有紀寧の結婚式の夢だ」
「まあ」
 
 有紀寧はとても驚いているようだ。
 そういえば、こいつの驚いた顔ってあんまり見たことないな……
 今は暗くてよく見えないのが残念だ。

「素敵な夢ですね」
「ああ、有紀寧もすごく綺麗だったぞ……」
「……ありがとうございます……」
 
 有紀寧はうつむいて、俺の胸に顔を埋めてしまった。
 照れているらしいな。うん。

「可愛かったぞ」
「……」
「色っぽかったぞ」
「そ、そんなはずないです……」 
「……綺麗だった……」
「〜〜〜っ」

 こころなしか、有紀寧が顔を埋めた胸元がだんだん熱くなってきている気がする。
 よほど恥かしいらしい。そのうち沸騰するかもしれないな。
 ちょっとだけ見てみたい……

 でも。
 その前に、気になることがあった。

「有紀寧。どうか真剣に……そして正直に答えて欲しい」
「はい」

 そう問いかけながら、胸に抱きしめた有紀寧の髪を梳いてみる。さらさらで、ふわふわな感触。
 こうしていると、心からこの人を愛しいと思える。
 それだけに、この胸が苦しくなることもある。
 有紀寧に聞いておかなければならないと思いながら、これまで聞けなかったことがひとつあった。

「やっぱり、できることなら結婚式とかやってみたかったか? お前も花嫁衣裳とか、着たかったのか?」

 俺と有紀寧は現実には結婚式を挙げていない。
 結婚自体が急だったし……なによりもお金がなかった。
 結婚指輪だって送っていない。
 だから、さっきのは、本当に俺だけのただの夢だ。

 結婚式は、女の子にとって、一生に一度の晴れ舞台だと言う。
 ウェディングドレスを着るのは、多くの女の子の小さな頃からの夢だそうだ。
 俺には、どちらも叶えてやれなかった。
 そのことは、やっぱり俺にとっても心残りだ。 
 
「そうですね……わたしにも望むことが許されるのなら……はしたないことかもしれませんけど、わたしも衣装を着たかったです」

 そして、わたしには似合わないかもしれませんけど、と言って有紀寧は笑った。

「でも、もうドレスは必要無くなりました」
「必要無くなった?」
「ええ。もう朋也さんに見て頂くことが出来ましたから」 
「でも……それは俺の夢じゃないか。見たのは俺だけだ」
「それでいいです……見て欲しいのは……朋也さんだけです」
「む……」

 ……なんと答えたらいいのか……
 言葉の替わりに、有紀寧を強く抱き締めた。

「朋也さん。わたしは思うんです」
「なんだ?」
「……これから、朋也さんと二人だけの時間が増えて、ずっと一緒にいられて。それはとてもとても嬉しい事ですけど……でも、今まで朋也さんが気付かなかった恥かしいわたしも、きっといっぱい見られてしまいます……」
「ぜひ、見せて頂こう」
「朋也さんは意地悪ですね」

 有紀寧はくすくすと笑った。
 俺が冗談を言ったと思っているのだろうか? 

「恥かしいのはお互い様だし。夫婦なんだから、そうなるのもいいだろう」
「いいですねっ。でも……わたしも女の子ですから……やっぱり恥かしいです……それに、嫌われてしまわないか不安です……」
「嫌うなんて……そんなことは、ない」
「はい……」
 
 有紀寧の返事は少し元気がなかった。
 俺がこんなことをいっただけでは拭いきれない不安感があるのだろう。
 そういうものは、誰にでもある。
 信頼していないわけじゃないけど、大好きで、大切な存在だからこそ相手の気持ちが気になる。

「で、でも……少しだけ不安ですから……いっぱい恥かしいわたしを見られてしまうその前に……朋也さんの元にお世話になりに行くその前に。せめて一度だけでも……一日だけでも、精一杯おめかしした、特別なわたしを見て欲しい……です……」
「有紀寧……」
「その時、たとえお世辞でもいいから、き、綺麗だって言って貰えたのなら……その言葉を、きっと一生忘れません……」
「…………」
「きっと、安心して生きていけます。”恥かしいな”って思ったときに、その言葉を思い出します……」

 そうか……それでドレスが着たかったのか……
 俺の胸に顔を埋めているので、有紀寧の表情は見えない。
 覗き込むのも失礼なことだろう。
 今、俺にしっかりとしがみついているのは、絶対に今の顔を見られたくないからだ。
 でも、胸はますます熱く感じられて、有紀寧の恥かしさは伝わってしまう。
 俺が言えって頼んだから、慣れない事を言ってしまったのだろうな。 

「有紀寧……綺麗だったよ、本当に」

 心からの言葉を贈る。
 その気持ちが有紀寧にも伝わって欲しいと思う。
 
「はい……ありがとうございます……いつまでも、忘れません……」
 
 俺も、きっと忘れない。
 有紀寧の花嫁姿と、そしてこんな愛しい気持ちを絶対に忘れたくない。

「それに、こうして朋也さんに抱きしめて貰えて、なんだか安心しました……」
「お前が望むなら、いくらでもやってやる」
「はい……」
「膝枕だって、してやるぞ」
「はいっ!」

 ……膝枕のほうがうれしいのか? その辺はよく分からないな……
 一通り話終わると、有紀寧は安心したように長い溜息をついた。

「それにしても……わたし、いろいろ恥かしいことを言ってしまいましたね……」

 やっとのことで顔を上げてくれた有紀寧が、困ったように微笑んでいる。
 本当に恥かしかったらしい。
 
「いいんじゃないか。恥かしいところ見せてくれるんだろ?」

 さっそく見せてもらったぞ。うむ。

「朋也さんは意地悪です……」

 有紀寧は、俺の腕の中で身体をよじって抗議する。
 ……そんな風にされるともっと抱きしめたくなるということが、こいつは分かっていないのだろうか?
 だから俺は抱きしめた。そんな風にいつまでもじゃれあっていた。

「朋也さん。もう朝ですね」
「ああ」

 いつの間にか夜が明けていた。 
 窓から差し込んだ朝日が部屋の中に満ちていく。
 朝日を浴びて、有紀寧の笑顔が輝いている。
 今日から本格的に俺たちの日々が始まる。
 たとえ何があっても、この愛しい人をいつまでも離したくないと、そう願う。

「朝ご飯、作りますね……もう起きましょう」
「……あと五分」

 俺は有紀寧を抱きしめたまま動かない。 

「ダメですよ。起きてください」
「……いやだ……」
「もう……ダメですよ?」
 
 こんな事を言って、甘えてしまうのも……まあ、愛があってのことなのだ。
 本当に、いつまでも抱きしめて、離したくないと思ってしまうのだ。

「もう起きてください、朋也さん」
「……あと十分」
「時間、増えてますよ?」

 だから、これくらいは許して欲しい。


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   以上が『有紀寧のほのぼの新婚生活・第二章』です。
   新婚生活はまだまだ続きます。が、次回掲載は少し先になるかもしれません。 
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