〜第一章〜
今年の春に高校二年生になった俺にとって、小学生の女の子というのはほとんど宇宙人みたいなものだ。
その事実に気が付いたのは、菜々子ちゃんが俺の家によく通うようになって間もなくのこと。
幼馴染の女の子と仲直りできたことを、お礼と報告のために俺の家に来てくれた菜々子ちゃん。
それからるーこと随分親しくなって、毎日のようにこの家に通ってくれている。
でも、俺は彼女と何を話していいのかまったく分からない。
だからどうしても菜々子ちゃんのことはるーこに任せっきりになってしまうのだ。
俺は今日も、いつもと同じように菜々子ちゃんとるーこが仲良く遊んでいるのをただ隣でぼんやりと眺めていた。
「えっと、じゃあこれで」
「む、その手で来たか……」
菜々子ちゃんの小さな手がオセロの盤上にそっと伸ばされた。
オセロ特有の『かちん』という音が静かなリビングに鳴り響く。
しばらく後には、るーこのほうからもう一つ。
二人の少女がオセロ版を前に、向かい合って真剣に思案しながら、一手、また一手と交互にオセロ版に手を差し伸べている。
それは遠目から見れば女の子二人がオセロをしているようにしか見えないだろう。
だが、二人がゲームを始めると、いつもただでは終わらない。
(なんなんだろな……これって)
俺は横から盤上を覗き込む。
常識で見る限りは菜々子ちゃんが圧倒的に優勢。
盤上はほとんど黒で覆い尽くされている。
どう見てもるーこの逆転はありえない状況だと思える。
でも、いつも二人のゲームは俺の予想通りには進まない。
「るーこ、押されてるな」
「いいや。作戦通りだぞ。ここからがるーの腕の見せ所だ」
そう呟いて不敵に笑うるーこ。
「そんなこと言っても、もう挟めるコマが無いぞ。ここからどうやって逆転する気だ?」
「まあ、見ていろ」
るーこはコマを手にするとおもむろに立ち上がった。
コマを持つ手を天井高く差し上げて、
「るーーー!!」
掛け声と共に盤上に叩き付けた。
そのショックで全てのコマがメンコのように裏返る。
盤面は見事に全部白に変わった。
「ふふ。見たか? これでるーの勝ちだぞ」
「ああ、また負けちゃった。るーこお姉ちゃんは強すぎるよ……」
「……なんか、インチキ臭くないか?」
二人のゲームはいつもこんな感じで、横から見ている人間には理解できない代物だった。
それは小学生同士がローカルルールでゲームをしているようにも見えたし、
或いは宇宙人どうしがゲーム盤をつかって遊んでいるようにも見えた。
これがまともな勝負なのかは、俺には分からない。
俺に分かることは一つだけ。
二人には、二人だけにしか通じない何かがあるということだけだ。
「ふふふ。るーこの勝利だな。これでもう、菜々子の身体はるーこの物だぞ」
「あ、あうう……」
「そういう言い方はヤバイからやめろよな」
るーこの言葉が物騒な台詞ではあるものの、別にるーこはへんなことをしているわけではない。
菜々子ちゃんを自分の膝に座らせ、その髪をそっと撫でている。
俺には勝負の経過は全く分からなかったが……あの熱戦を制したのは、どうやらるーこだったようだ。
『勝った者は負けた者を自由にする権利があるのだ』
そう宣言したるーこは、今は勝者の権利として菜々子ちゃんの髪を弄んでいる。
「好きに触らせてもらうぞ。勝者には当然の権利だ」
「は、はい……わかってます」
「だから、やめろって」
言葉がやたらアレなのは気にかかるが、きっと例の翻訳機の不調だと思っておこう。
さすがに本気ではないはずだ。
「一度この身体を思う存分撫で回したいと思っていたのだ」
「そ、そうなんだ……」
「身体じゃなくて髪だよな? 髪」
おいおい。
まさか、本気じゃないよな?
「ちびうーの髪はよい髪だ。とてもサラサラしていて、いい香りがするぞ」
「お、お母さんに『女の子は髪を大切にしなさい』って、いつも言われてるから……」
恥しそうに俯いている菜々子ちゃん。
るーこに褒められすぎて、少々照れているようだ。
でも、ちょっと嬉しそうではある。
俺はそんな二人の様子をお茶を用意したり、お菓子を出したりしながら、ただただ眺めているだけだ。
「ねえ、るーこお姉ちゃん。星のお話してくれる?」
目を細めて大人しく髪を撫でられながら菜々子ちゃんはそう言った。
菜々子ちゃんはるーこの話す荒唐無稽な宇宙の話が大好きだ。
でも、るーこが宇宙人だとどこまで本気で信じているのかどうかはよく分からない。
「ああ、いいぞ。るーこの星の話をしてやろう」
るーこはそう告げて頷いた。
「るーこの星は遠い星だ。大熊座47番星第3惑星“るー”だ。そこから光より速い光に乗ってやって来た」
「光より速いんだ……ねえ、どんな星なの? お姉ちゃんの星」
「いい星だぞ。文化も科学もこの星より進んでいる。でも、それだけではない」
「そうなの?」
「あの星には、大切なものが沢山あるのだ。美味しい食べ物も、大切な仲間も。るーはそこで狩をするのが得意だったぞ」
「素敵な星だね」
「ああ。本当に……素晴らしい星だ」
「うん」
俺は二人の交わす言葉にじっと耳を傾ける。
るーこの言葉は、自分の子供に昔話を語るような優しさだけがあった。
それはどこまでも穏やかな様子で、少しの焦りも不安も感じさせなかった。
そのことが、余計に俺を不安な気持ちにさせる。
るーこの胸中が気になってしかたがない。
今どんな気持ちで故郷の星のことを語っているのだろうか?
いつだって、るーこは”るー”のことを誇りに思っていた。
でも、その”るー”に彼女は二度と帰れない。
るーこは、四度目の”るー”を使ってしまったから。
俺と、そして菜々子ちゃんの為に。
皆で夕食を食べた後。
俺はすっかり暗くなった夜道を菜々子ちゃんと供に歩いていた。
後片付けをるーこに任せ、菜々子ちゃんを家まで送るのはいつも俺の役目だ。
「…………」
「…………」
いつものことではあるけれど、二人の間に会話はほとんど無い。
俺と二人きりになると、途端に菜々子ちゃんは初めて会ったときの内気な女の子に戻ってしまう。
いつも勝手なことばっかり言ってるように見えるるーこは、何故こんな無口な女の子と仲良くできるのだろうか?
こればっかりはるーこがとてもうらやましく思える。
小学生。
その頃の俺はこのみや雄二、タマ姉たちと公園を駆けずり回っていたな。
必要以上に活発な彼女たちと違って、間違いなく大人しいタイプの菜々子ちゃんは俺にはよく分からない存在だ。
こうして少し俯き加減で俺の隣を歩くこの女の子は、今どんな気持ちでいるんだろう。
たとえ子供相手でも女の子は苦手だ。情けないことに。
今日もいつも通り、菜々子ちゃんとは一言、二言言葉を交わすのが俺にはやっとで。
そのままお家まで送り届けるだけだ。
今は彼女とはこんな感じだけど、できれば菜々子ちゃんとはもう少し仲良くしたいと思う。
さすがに毎日無言の送り迎えは気分が悪いしなあ。
菜々子ちゃんと仲良くなるには、一体どうすればいいのだろうか?
それはやっぱり、一番仲のよい奴に聞いてみるのがいいだろうと思えた。
家に戻った俺は、食事の後片付けを終えてくつろいでいたるーこに尋ねてみた。
「なあ、るーこ。俺もおまえみたいに菜々子ちゃんと仲良くなりたいんだけど、どうしたらいいんだろう」
「なんだ? うーはちびうーとらぶらぶになりたいのか?」
「お前はアホか」
こいつ、また聞き間違えてるのか?
この翻訳機、たまに叩き壊してやりたくなるんだよな。
「菜々子ちゃんと友達になりたいんだ。と・も・だ・ち。分かるな?」
「わかっている。要するに仲良くなれればいいのだろう」
そうだけど、ほんとに分かってるのか? こいつは。
「だったら、仲良くなりたいとちびうーに言えばいいぞ」
「そ、そうかなあ……」
実にるーこらしい意見だな。
しかし、いい大人が小学生に『仲良くして』なんて言うのは……
「やっぱり恥しいよ。それは」
それに、きっかけとしては不自然な気がする。
「まったく。うーは根性無しだな」
「……何か他にいい方法は無いのか?」
こんなるーこに相談するのも悲しいが、他に相談出来そうな相手は居なかった。
小学生の女の子と仲良くなる方法を宇宙人に相談か。
こんな俺って……いや、もう何も言うまい。
「なら、”るー”を使うといいだろう」
「バカ言うな。もう四回使ってるんだろうが。またあれを使うことなんて許されないだろ?」
「愚かなのはうーのほうだ。るーが言っているのは、るーの”るー”ではなくて、うーの”るー”だ」
「……はあ?」
なんじゃそりゃ?
「ちびうーが好きなるーの儀式だ。信じれば願いが叶う」
「ああ。おまじないのことか……」
おまじない。
幼稚園、または小学生低学年の女の子が好んで行う幸運を呼ぶ儀式。
菜々子ちゃんもこれがずいぶん好きらしく、ときどきるーこと一緒に何やら怪しげな儀式に興じている。
「おまじないは”るー”とは違うんだ。願っても思いは叶わないんだぞ」
「そんなことはないぞ。るーはちびうーと一緒に仲良しの”るー”を行ったのだ。おかげでもっと仲良しになったぞ」
「……それは違うんじゃないかなあ」
それは別に特別なちからが働いたわけじゃない。
『一緒に仲良しのおまじないをしようね』って。そうやって小さな女の子同士は仲良くなるんだよ。
るーこはそういうの知らないだろうけど。
まあ、宇宙人だからなあ。
「でも……いいかもしれないな。俺もそうやって打ち解けることは出来るかも」
「うむ。ちびうーが好きなもので、うーの愛情を表現するのだ。これは友好の証になるだろう」
愛情っていうのはひっかかるけど、いい手かもしれないな。
じゃあそれで行こう。
「で、どんなおまじないを使えばいいんだ?」
「…………」
るーこの返事は無い。
「お前、肝心なところを知らないのかよ」
「失礼なことを言うな。勿論知っているぞ……ただ、儀式の正しい手順をちゃんと確認したほうがいいと思っただけだ」
お前絶対知らないんだろ。
多分、菜々子ちゃんに後から聞いてくるつもりだな。
まあ、それでもいいか。
「ちゃんと確認してくるから、今度教えてやるぞ。愚かなうーよ、感謝しろ」
「お、お願いします……」
ちくしょう、こんなやつに頭をさげなければならないのか。
この野郎……後で覚えてろ!
――――
次の日、るーこは貴明が予想したとおり菜々子におまじないのことを聞きに来ていた。
「ちびうーよ、お前を男の中の男と見込んで頼みがあるぞ」
「わたし、男の子じゃないよ……」
「あるうーが女と仲良くなりたいと願っているのだ。その願いが叶う”るー”の儀式を教えてくれ」
「るーの儀式……? えっと、おまじないのこと?」
二人の会話が多少ずれているのはいつものこと。
るーこと話すコツは、”あまり細かいことを気にしない”ことだと、菜々子は既に理解していた。
多少混乱しながらも、状況をなんとか理解しようと努力する。
「なかよし……それって、二人を恋人にすればいいの?」
「こいびと?」
その時、るーこの頭の翻訳機が作動する。
こいびと=男女の中が非常に良いこと。
うーは男で、ちびうーは女だ。
間違っていない。るーこ的にはそう思えた。
「うむ。そのとおりだぞ。二人が死んでも離れられなくなるぐらいに強力な儀式を授けてくれ」
「そ、そんなこと言われても……」
そんなおまじない、もしあったら自分が知りたいものだと菜々子は思った。
恋のおまじない。
菜々子自身にまだ好きな人はいなかったが、幼馴染のゆっこちゃんが特にこの手のおまじないを好んでいたので、何度か一緒にやったことはある。
もし、絶対に叶う恋のおまじないがあったら、自分にも素敵な出会いがあるんだろうか。
少しだけそれを想像してみる。
相手の男に関してはいまいちイメージが出来なかったが、例えば落としたハンカチを拾ってくれた男の子に一目ぼれされたり、
遅刻しそうになった自分が食パンを咥えて走っていたら、素敵な男の子とぶつかっっちゃったり……
そんなことが起こるのだろうか?
菜々子の胸がちょっとだけときめいた。きゅんと鳴った。
いわゆる、背景にバラの花とか百合の花とか飾ってあげたくなる感じに。
「頼む、ちびうー。そのうーはるーこにとって返しきれない恩がある、大切なうーなのだ。だから、最高の贈り物をしてやらなければならないのだ」
「お姉ちゃん……」
いつになく真剣なるーこの様子がようやく菜々子にも伝った。
別にふざけているわけではないようだ。
「恩返しがしたくても、るーにはもう”るー”のちからが無い。だから、ちびうーをうーの中のうーと見込んで頼むぞ。教えてくれ」
「うん。もちろんだよ!」
菜々子は素直に頷いた。
「お姉ちゃんに、あたしのとっておきのおまじないを教えてあげるね」
そう言って微笑んだ。
「ところで、その相談を受けた人って誰なの?」
「ひみつだ。男と男の約束なのだ」
「そ、そう……」
回答が意味不明だったので、菜々子はそれ以上の質問を控えた。
あまり細かいことを気にしていたら、るーこの親友などやっていられないからだ。
大きな勘違いの始まりは、こうして起こったのだった。
第一章 第二章 第三章 第四章 第五章 第六章 第七章
上に
以上が『菜々子ちゃんと見上げた空〜第一章〜』です。
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