エルルゥの晩御飯第三章

「……うわあ」
「お疲れ様です、ご主人様」

 わたしはお風呂にはいるために脱衣所にやってきたことを後悔したくなった。
 まさか水着姿のメイドさんが正座で待ち構えているとは思わなかった。
 しかもスクール水着のメイドさんが。

「郁乃様、今日はわたしと一緒にお風呂に入って下さいませんか?」
「嫌」
「そ、即答ですか……」
 
 きっぱりと切って捨てた言葉に、がっくりと落ち込む『振り』をするメイドさん。

「も〜〜。お世話になって三日も経つのにご主人様とお風呂に入れてもらえないなんて、
 メイドの名折れですよう」
「どんな名前が折れるんだか……」  
「お願いですから、郁乃様の玉のようなお肌をきゅっきゅって磨かせてくださいよう。
 いやらしいことなんて、絶対しませんから。ほら、ちゃんと水着ですよ? 裸じゃないですよ?
 郁乃様の水着だって用意してあるんですから」 
    
 その発言がすでにいやらしい、とか突っ込んでも無駄なんだろうなあ。
 しかも用意されたわたしの水着もスクール水着。
 このメイドは頭の中にお花畑でも咲いてるんじゃないか?

「とにかく、絶対嫌だから」
「そうですか」

 わたしは予断なくはっきり断った……だがしかし、イルファさんの素敵すぎる笑顔はさっきから少しも損じるところがない。
 このメイドはまだなにか企んでいる。そう直感した。 

「じゃあ、わたしはお風呂掃除でもすることにいたします」
「え?」
「郁乃様と一緒に入って頂くお風呂場ですから、ピカピカに磨いておかないといけませんね」
「いや、だから入らないって……」
「いいご主人様は、一生懸命頑張っているメイドには必ず酬いてくれるものです」

 そういい残してイルファさんはさっさと風呂場に入っていく。

「ららら〜〜♪ わたしのご主人様は照れ屋さん〜〜♪
 あら、メイド服の裾が濡れちゃった。
 でも、挫けないわ、メイドですもの。
 ご主人様のためならこのくらい〜〜〜♪」
 
 そしてなんか歌ってるし。おかしな人だなあ。
 メイドってみんなこういうものなの??
 きっとわたしが行かないといつまでも歌いながらお風呂を磨いているのだろう。
 はあ……

「わかった。じゃあ用意してくるから、待っててくれる?」
「はい! お風呂をピカピカにしてお待ちしています」

 やれやれ。
 わたしは結局、イルファさんの情熱(?)に負けて一緒にお風呂に入る覚悟を決めた。

「その代わり、水着はなしでね」

 スクール水着とか、わたしは絶対着ないから。
 



 わたしが風呂に入る準備を整えているところで、姉が声をかけてきた。

「あれ、郁乃はイルファさんと一緒にお風呂に入るの?」
「そうだけど」
「そ、そうなんだ……」

 姉は何故か顔を赤らめてうつむいた。
 なんだ? その反応は?
 
「あの、実はあたし、昨日イルファさんと一緒にお風呂に入ったんだけど」
「そうなの?」

 知らなかった。
 姉はわたしの知らないところで、イルファさんとどんな時間を過ごしているんだろう。
 不意に気になった。
 
「あのね、イルファさんって予想以上にすっごいから」

 その姉は”すっごい”のところで両手の拳を堅く握り締めて主張した。
 どうしてもそこを主張したかったらしい。
 
「だから、頑張ってね」
「はあ?」   
 
 頑張れって……何を頑張れと? 
 まあ、たしかに彼女は”すっごい”んだろうけどなあ。さぞかし。 
 はあ。なんかお風呂が怖い……



「うふふ、ご主人様とお風呂〜〜♪ メイドの幸せ爆発です〜〜♪」
「頼むから黙ってて……」

 お風呂に入ってからというもの、イルファさんの浮かれっぷりといったらなかった。   
 こっちは恥ずかしくってしかたない。

「何がそんなに嬉しいんだか」
「ご主人様が一緒にお風呂に入ってくれたから嬉しいんです」
「もう……」

 嬉しいとか、そういうことあんまり言わないで欲しい。
 なんか……困る。
 
「かゆいところとか無いですか?」
「床屋じゃないんだから」

 イルファさんはわたしの頭を洗いながらまた意味不明なことを言う。
 いちいち普通にしゃべれないんだろうか。
 にしても。

(やっぱり”すっごい”なあ……イルファさん)

「どうかしましたか??」
「なんでもない」 

 服の上から一見しただけでも分かっていたことだった。
 でも、こうして直接見せられると圧倒されるなあ。
 姉が”頑張れ”とか言った理由がようやく分かった気がする。
 まあ、メイドロボだもんね。なにしろ人類の理想を具現化したカラダだもんね。
 そんなの生身の女の子と比べても……

「って、自分と比べてどうする」
「なにか?」
「なんでもない」 

 もうやめよう。
 これ以上考えていても悲しくなるばかりだ。
 とりあえず、もう明日からはイルファさんとは絶対お風呂に入らないから。
 
(でもイルファさんっていつもこうなのかなあ)
  
 ご主人様、ご主人様って言われてるけど、彼女に尊敬されてる様子はぜんぜんない。
 やたら馴れ馴れしいし、なによりあからさまにスキンシップを求めてくる。
 でも、お父さんやお母さんには礼儀正しくしてるみたいだった。
 わたしにやたらかまうのは、やっぱり”ご主人様”だからなんだろうか?
 じゃあ、前のご主人様とはどう接していたんだろう? 

「ね、イルファさんって前のご主人様にもこんなことしてたの?」

 それは何気ない質問のつもりだった。
 わたしはその言葉に特になにかの意図を込めたつもりもなかった。

「え……?」

 しかし、不意に頭を洗ってくれていたイルファさんの手が止まった。
 そのまま彼女は動かない。

「どうしたの?」
「い、いえ、ご主人様ですよね。えっと、彼女は瑠璃様といいまして……」
「いや、べつに名前まで聞いてないし」
  
 というか、そんなことしゃべっていいのか?
 あんた一応メイドだろうが。

「わたしはイルファさんが前の職場でどんな感じだったのかを聞きたかっただけなんだけど」
「い、以前のわたしですか……わたしはえっと、いつもどおりでしたよ?」
「いや、それ答えになってないから」

 なんだなんだ。イルファさんの様子がなにやらおかしい。
 何気ない質問のつもりだったけど、どうやらイルファさんを激しく動揺させてしまったみたいだ。
 でも、なんでそんなに動揺するの? 
 
「実はですね、メイドにも守秘義務というがありましてですね。
 そう軽々しく他所のお宅のことはお教え出来ないんですよ」
「さっき、あっさり名前を言ったじゃないの」
「そ、そうでした。うう……それはですねえ」

 しどろもどろになって、適当なことばかり言い始める始末だ。
 これ以上は何を聞いても無駄だろう。

「もう。別にいいよ。話しにくいのなら」 
「そ、そんなこともないんですけどねえ」

 イルファさんが困っているようなので、この話題は一応打ち切った。
 その後、イルファさんはとりとめもなく次から次へとたわいもない話を振ってきた。
 わたしはその話に適当に相槌をうちながら、ずっと別のことを考えていた。
 ”瑠璃様”……だっけ?
 イルファさんの”ご主人様”。どんな人だったんだろう。
 イルファさんは、彼女のことをどう思っていたんだろうか。 
 彼女のご主人様のことを考えていると、なんだかまた不安な気持ちが増してくるのだ。
 だから、わたしはそのことを忘れようとした。
 でも出来なかった。どうしても。


「ご主人様〜〜。今日はメイドと一緒にお出かけして下さいよ〜〜」
「またか……」   

 昨日は動揺していたはずのイルファさんだったけど、一日で今のテンションを取り戻してしまったらしい。
 そりゃあ昨日のままでも困るけどね。

「昨日なんて、ご主人様がお出かけしていたというのに、メイドがおいてけぼりなんて。
 メイドとして、これほど辛い仕打ちはありませんよ」
「おおげさだなあ」
「つれていってくれたら、荷物もちでもなんでもします。絶対お役にたちますから」
「イルファさんが必要な用なんて特に無いよ」

 その一言。
 言った途端、『があああん』とかわざとらしく擬音を自前で響かせながら、
 メイドさんは大きなショックを受けたようにふらふらと倒れる……振りをした。   

「わ、わたくし、役にたたないメイドなんでしょうか」
「いや、別にそこまで言って……」
「ぐすっ……ご主人様に必要とされないメイドなんて、死ぬしかないんですよう……」
「あんた、死なないでしょうが」
「不要になったメイドロボが、どうやって廃棄されるか……ご主人様はご存知ですか?」

 自嘲するかのような笑みを浮かべ(これもかなりわざとらしい。演技だと思うが)イルファさんは呟いた。

「な、なによ」
「最近、メイドロボも数が増えてきてますから。
 古くなったメイドロボを一括で処理する工場があるんですよ」

 言いつつ、ふふ……と怪しく嘲笑うイルファさん。

「山積みされた不良品のメイドロボはローラーで踏み潰され、そしてミキサーでCPUまでぐちゃぐちゃに……」
「や、やめてよ」

 怖い。
 イルファさんの話の内容も怖いんだけど、それを語るイルファさんの表情のが何倍も怖い。

「ご主人様は、わたしにそんな工場へ行け……と仰るのですね? ううっ……」
「ちょ、ちょっと、何も泣かなくても」
 
 いつもの愚痴だと思って適当に受け流していたけど、
 イルファさんはついにめそめそと泣き出してしまった。
 始末に終えない

「郁乃、お願いだからイルファさんにつきあってあげてよ」

 隣に座って話を聞いていた姉が、余計な口を挟んできた。

「嫌。なんでわたしがそんなこと……」

 わたしは断ったけど、姉はまたこう言うのだ。

「だって、郁乃はご主人様だし」
「ふう……」

 また”ご主人様”か。
 この言葉に振り回されてわたしはどれだけ余計な苦労をしょいこんでいるのだろうか。
 もしかしたら、ご主人様って世界で一番苦労の多い仕事じゃないかなあ。

「わかった。じゃあ、今日は一緒に行っても……」
「本当ですか?! 郁乃様」

 まだ全部言ってないのに、わたしの一言に素早く反応するイルファさん。
 こ、怖い。
 まるで獲物をじっと待ち構えていた肉食獣のようだ。
 何が彼女をこうまでさせるのだろう?
 そんなにわたしとお出かけしたいんだろうか……?

「で、でも、外では絶対大人しくしてね。それから、あんまり長居はしないから」
「はい! ありがとうございます!じゃあ、お出かけの準備をいたします!」

 さきまでの涙はどこへやら。イルファさんは元気良く頷いた。
 なんだかまた騙されてる気もするけど。
 あれ? そういえば確か……

「メイドロボって、確か涙を流せないんじゃなかったの?」 
「はい、そうですよ」
「じゃあ、さっきのは?」
「はい、嘘泣きですけど。それが何か?」

 にっこり笑ってそう言うのだ。
 ……ねえ、最新型のメイドロボってご主人様をからかう機能までついてるの?




 道ですれ違う人々みなが振り返る。
 うう、視線が痛いなあ……
 でもとびきり美人のメイドさんが、車椅子の女の子と一緒に往来をお散歩しているのだ。
 しかも楽しそうに鼻歌を歌いながら。
 これで注目するなと言うほうが無理だし。
 いったいなんでわたしがこんな目に。
 泣きたい。
 もう福引なんて二度とやらない。

「うふふ、ご主人様とお・出・か・け。メイドにとって、至福のひと時ですね〜〜」
「……あっそ。悪いけど、わたしにはぜんぜん理解できない。こんなことして、いったい何が楽しいの?」
「こうやって、ご主人様のお世話が出来ることが。メイドであるわたしの幸せなんです」

 メイドという生き物が、ますます理解出来なくなる返事だった。

「メイドなんかになっても苦労ばっかりすると思うんだけど。
 イルファさんみたいに優秀だったら、きっと他のことをやった方がいいよ」
「あら、わたしのことを心配してくださってるんですか?」
「……そうでもないけど」
「もしわたしのことを健気だと思ってくださるのなら、
 これからもっとわたしを可愛がったり、一緒にお散歩したり、イジメてみたり、調教したりしてくれればいいんです」

 それは丁重にお断りしたい。特に最後のは。

「こういうの、郁乃様は……楽しくないですか?」
 
 そう尋ねるイルファさんの声が微かに不安に聞こえた。
 うーん。
 楽しくない、なんて答えたらやっぱりいけないよね。
 でも楽しいなんて言ったらまた、困ったことになりそうで……

「ふ、普通……」

 だからわたしの返事は曖昧なものになった。
 でもイルファさんは、それを聞いてくすりと笑った。
 なんかこっちの考えを見透かされている気もする。 
 
「イルファさんは楽しいの?」
「ええ、楽しいですよ。ご家族の方はみなさん優しくして下さいますし。ご主人様は、とっても素敵な方ですし」
「そう」

 それはよかったね。

「出来るなら、このままずっとここに居たいですよ〜」

 イルファさんは能天気に笑いながらそう言った。
 その一言が、妙にわたしの胸に突き刺さった。

「なんで、そんな嘘つくの?」    
「え?」
「だってイルファさん、もうすぐ前のご主人様のところに戻るんでしょ?」
「えっ……?」
「だってもうすぐここに来て一週間になるもんね。
 その期間が過ぎたら本当の”ご主人様”のところに帰るつもりだったんでしょ?」
「あ、あの……わたし」 

 イルファさんの反応から、”ご主人様”のことがよほど気になっていることぐらいは分かっていた。
 どう気になっているかはよく分からなかったけど。でも。

(あまり人を嫌いになるタイプには見えないし)

 じゃあ、以前一緒に暮らしていたという”ご主人様”がよほど好きなんだろうね。
 まあいいことだよね……うん。いいことだ。

「あ、あの、ご主人様……」
「わたしのこと、もうご主人様って呼ばないで欲しい」

 わたしはきっぱりと言い放った。
 今度こそ、イルファさんの続く言葉を断ち切るようなつもりで言った。

「あ……」
「たった一週間のことだから、どうでもいいと思ってたけど、
 でもやっぱりそうゆうことははっきりさせないといけないよね」
   
 自分でも言い方がすごく冷たくなってるのを感じていた。
 でもこの気持ちを放置して、これ以上イルファさんとこのままでいることは出来そうにない。 

「あ、あのですね。
 わたし、実はもう少しご主……いえ、郁乃様のお宅に置いて頂きたくて。
 今日はそのことをお願いしたいと思って……」
「そう。じゃあお父さんかお母さんに言ってみれば? 二人ともきっと反対はしないと思う」
「じゃ、じゃあ……」
「でもわたしは反対」
「!」
「けど別に命令じゃないし。だからイルファさんの好きにすればいい」

 わたしはそれだけを言って俯き、その後はイルファさんと言葉を交わさない意志を示した。
 さすがにイルファさんもその後はわたしに話しかけてはこなかった。
 その日を境に、わたしは最後の日までイルファさんと話すことは無かった。




 そして約束の一週間目がやってきた。
 明日の朝、イルファさんはこの家を出ることになっている。
 それはもう、最初から決まっていたこと。
 だからそれでいいんだ。
 
「今日だけは、お家のお仕事わたしに全部やらせて下さい。いままでお世話になったお礼がしたいんです」

 イルファさんはそう言って、朝から猛然と仕事を始めた。
 それは高性能メイドロボの名に恥じない素晴らしい働きだった。
 家にあったお皿を全て磨いて、美味しそうなシチューを鍋いっぱいに作って。 
 床も天井も全部綺麗にしてくれた。

「いやあ、イルファさんはやっぱりすごいなあ」 
「イルファさんがずっといてくれればいいのにねえ」
「ありがとうございます。そう言ってもらえてとっても嬉しいです」

 家族みんながイルファさんとの別れを惜しんでいた。
 そしてこの一週間の楽しかった思い出を話したり、感謝を告げたりしていた。
 わたしだけはその会話の中にはあえて入らず、話しかけられたときに軽く相槌をうつだけだった。
 イルファさんの作った夕食はすばらしい味だったけど……わたしにとっては気の乗らない夕食となった。
 早々に食事を終えて、わたしは自分の部屋に引きこもった。
 その、夜半。
 わたしの部屋のドアを礼儀正しくノックする音。

「郁乃様、夜分遅くにすみません。少しだけお話よろしいでしょうか」 
「……うん」

 なんとなく、今夜イルファさんが来てくれるような気がしていた。
 別れる前にわたしと遺恨を残さないように気遣ってくれたのだと思う。
 わたしはイルファさんを部屋に招き入れて椅子を薦めた。
 彼女は素直にそれに従った。
 以前のように悪ふざけをしてわたしの隣に強引に座る、などという様子は微塵も無かった。
 これがきっと本来のイルファさんの顔なのだと思う。 

「わたしが仕えていたご主人様のこと。迷惑でなかったら、聞いて頂きたいんです」
「いいよ。話して」
「わたしのご主人様は、わたしの命の恩人なんです」

 そう告げた彼女の表情。
 ずっと完璧なメイドさんだった彼女が、初めて見せる女の子の顔がそこにあった。
 イルファさんは話してくれた。 
 この家に来るまでどんな場所で暮らしていたのか。
 そしてどんな人と出会ってきたのか。

「ご主人様がいてくれたから、わたしは生まれてくることが出来たのです。
 わたしはいつか立派なメイドになって、その方にずっとお仕えしていこうと心に決めていました」 

 いや、立派なメイド……だとは思うんだけど。その表現はちょっとなあ。
 まあ、それはともかくとして。
 イルファさんは自分の生い立ちまでも話してくれた。

「念願が叶って、わたしはそのお方のメイドになることが出来ました。
 でも、ご主人様はなかなかわたしのご奉仕を受けてくださらなくて……」

 どんな”ご奉仕”だったのだろうか。
 なんとなく聞かない方が身の為だと思う。 

「それで、イルファさんは家出したの?」
「最初は家出なんてするつもりじゃなかったんですけど」

 イルファさんは、自分があまりご主人様にかまって貰えなかったことをずっと寂しいと思っていたそうだ。 

「それで、たまにはご主人様に甘えてみたいといろいろお願いしてみたんですが、
 なかなか許してくれないんです」

 いったいどんなお願いをしたんだろうね。

「わたしも毎日さびしくて。だからある日、ついメイドの乙女回路が暴走してしまってですねえ……
 ちょっと強引に甘えてしまったんです」
「それはまずいんじゃないかなあ」
「でも、わたしも毎日丹精込めて尽くしているわけですから。ちょっとぐらい甘えてみたかったんです。分かりますよね?」
「まあ、少しくらいならいいんじゃないの?」
「夜中にちょっと瑠璃様のお布団に忍び込んで、抱き枕にしただけなんです」
「……」
「瑠璃様は途中で目を覚まして逃げ出そうともがきましたが、わたしはせめて朝日が昇るまではと、ずっと抱き締めて離しませんでした」
「最悪だ……」
「瑠璃様はすごく怒ってしまって。『でていけ! もう帰ってくるな!』……って言われちゃったんです」
「そりゃあ、わたしでも言うだろうね」
「わたしはそのまま家を飛び出してきちゃったんです。
 それで帰るに帰れなくて困っていたんですけど、今回のお仕事を紹介してくださった方がいて」
「なんでイルファさんはこんな仕事を受けたの?」

 その点はずっと不思議に思っていた。
 こんなにもご主人様を大切に……いや、愛しているメイドさんが、
 どうして他のご主人様に仕える気になったのだろう。

「わたしも夢を見たかったんです。一度でいいから、わたしの……いいえ、
 ”わたしだけの”ご主人様になってくれる人に、思いっきり甘えて、わがままを言ってみたかった」

 そっか。
 そして、あなたはわたしに出会ったんだね。

「郁乃様、わたしが研究所にお願いすればずっとここに居ることも出来るんです。もし郁乃様が望んでくれるならわたしは……」
 
 その言葉に心がざわついた。
 イルファさんが、ずっとこの家に居る? もしそうなったら、どうなるのだろう?
 困ったことがあっても、イルファさんはきっと力になってくれる。
 それはすごく頼もしいし。安心できる。
 おいしいお菓子も作ってくれる。イルファさんが家にいてくれれば、いろいろと楽しいことがあるだろう。
 そしてそれだけじゃない。 わたしにとってイルファさんは……

「本当のご主人様のところに、帰ったほうがいいよ。ちゃんとあやまれば、きっと許してもらえると思う」

 でも、わたしは心の中に溢れそうないくつかの感情を抑えて、お別れの言葉をイルファに告げた。
 そうするべきだと思った。
 わたしは。
 わたしの一番好きな人には、わたしのことを一番好きでいて欲しい。
 本当は一番大切なご主人様がいるのに、わたしのことをご主人様って呼ばないで欲しい。
 だって、そんなのさびしいよね。

「イルファさんはずるいよ」
「え?」
「自分はご主人様の一番になりたいって言ってるのに、イルファさんはわたしの一番じゃなかったんだね」
「郁乃様……」
「そんなの当然だけどね。出会ったばかりなんだから。
 でも、あんまりイルファさんが一生懸命尽くしてくれたから、わたしもちょっと勘違いしちゃった」 
「わ、わたしは郁乃様のことがとっても好きです!」
「そう?」
「かわいくて、ちっちゃくて、ちょっと口が悪いけれど……本当は心の優しい素敵なご主人様に仕えることができて。
 そしていろいろ甘えさせて頂きました。とても幸せな気持ちになれました。だからわたしはご主人様が大好きです。本当に」
「……そこまで言われると、ちょっと照れるね」

 そう言って貰えたことは素直に嬉しいと思った。
 でも口悪いってのは余計だ。ちっちゃいってのも余計だけど。

「わたしは、郁乃様とお会い出来てよかったです」
「わたしもだよ」

 だからこそ、ちゃんと終わらせなければいけないのだとわたしは思う。

「さようなら、イルファさん。どうか、お元気で」




 こうして一週間のわたしのご主人様生活は終わった。
 イルファさんがいなくなって、わたしたちに今まで通りの生活が戻ってきた。
 今までどおり……というには少しだけ違うこともいくつかあるけど。
 わたしはときどき些細なことでイルファさんのことを思い出してしまう。
 この番組イルファさんも見てたなあ、とか。
 イルファさんがいたらこのお菓子を作ってくれるのになあ、とか
 でも、きっと今イルファさんは本当のご主人様の元で幸せに暮らしているんだろう。
 それは少し寂しいことだけど、でも仕方ない。それがわたしの選んだことだから。 
 そうやってこれからはわたしも一人で強く生きていく。
 ………… 
 うーん。
 生きていく……はずだったんだけどなあ。

「イルファさん、なんでここに居るの?」
 
 マンガみたいにでっかい風呂敷包みを背負って。
 玄関前にイルファさんが立っている。
 荷物の量から察するに、どうやら本格的にここに居座るつもりらしい。
 あの別れから、まだ三日も経ってないというのに。

「だって……
 だってご主人様ってば、わたしが居ないのをいいことに、新しいメイドロボをお家に二人も呼んじゃったんですよ。
 しかも、わたしが居なくても彼女たちがいるから仕事は大丈夫だって。
 それはわたしはもう必要ないってことなんですか?? ねえ、そうなんですか??」
「いや、そんなことわたしに聞かれても」
「やっぱりわたしみたいな中古より、若くて新品のメイドロボのほうが可愛いいんですよ。
 わたしなんてもう捨てられちゃうんですよ。おミソなんですよ〜〜」
「そんなことないと思うけどなあ。きっと誤解だよ」
「わーん、こんな中古メイドを愛してくれるのは、郁乃様だけですよ〜〜
 どうかわたしのことをずっとお傍に置いて下さい〜〜」    
 
 そう言って、彼女は泣きながらわたしの胸に飛び込んできた。
 ……と言えばいかにもドラマチックだけど、実情はだいぶ違う。
 彼女は低姿勢でまるでタックルを仕掛けるかのようにわたしに接近すると、
 避けようとするわたしの背中に腕を廻して、がっちりと腰のあたりにホールドしてくるのだ。
 こっちはもう一歩も動けない。

「ちょ、ちょっと。離してよ」
「いえ、離しません! むしろわたしを抱きしめて、頭をなでてなぐさめて下さいっ」
「あ、あんたねえ……」

 そして嘘泣きだってバレてることもわかってるはずなのに。
 それでも彼女は堂々とわたしの胸にすがりついて大泣きするのである。
 信じられない。なんというふてぶてしさ。
 これでもメイドなの?

(でも……)

 不思議だ。
 こうしてるとなんだか胸の中が、あたたかくなる気持ち。 
 嬉しい。 
 ああ。わたしは彼女が戻ってきてくれて嬉しいんだ。
 今はこうしてわたしの傍にいたいといってくれているけど。
 いつか彼女はわたしより大切なご主人様のところへ帰りたいって言い出すかもしれない。
 そう思うとまた不安な気持ちになるけど。
 でも。
 もしそうなったら、その時はわたしが彼女にしがみついて帰さないでいればいいのかもしれない。
 だから、わたしも彼女を抱きしめた。

「おかえりなさい。イルファ」
      
              上に

   以上が『メイドロボ・当選しました 第三章』です。長い物語にお付き合い頂いて、本当にありがとうございます。
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