エルルゥの晩御飯第一章

「いっぱいある……」

 私はスーパーの壁一面に並ぶハブラシを眺めていた。
 たかがハブラシになぜ、こんなに沢山の種類が必要なんだろうか?
 わたしには不思議でしかたない。
 固め、柔らかめ、とかいうのはまだ分かるけど……
  
「エステティック・ハブラシって……なに??」

 奇妙な名称が気になって思わず手にとってみた。
”歯の表面を玉のお肌みたいにツルツルに”……だって。 
 理解できない。

「郁乃、ハブラシは何色がいい?」

 手に取ったハブラシをぼんやりと眺めていると、姉が肩口から手元を覗き込んで尋ねてきた。 

「あ、えっと……青かな?」
「わかった」
   
 姉は一瞬たりとも迷うことなく、一番価格の安い青色のハブラシを掴むと買い物かごにいれた。
 ……さすがだ。

 ここは近所の大型スーパーの雑貨販売コーナー。
 わたしはここで姉と一緒に新生活に必要な雑貨を買い集めている。
 退院が決まってからというもの、毎日が慌しくなってしまった。
 退院の為の最後の検査。進学の為の手続き。
 様々な新しい生活の為の準備はいくらでもあるから。

「タオルとか、新しいの買ったほうがいいよね」
「ま、あれば助かるけど」
「じゃあ、買うね」

 たとえば、こんな日用品の買出しとか。
 まあハブラシもタオルも無いなら無いで、なんとかなるとは思うけれど。
 そりゃ一応は揃えたほうが……

「バスタオルは何色がいい? ピンク?」
「青か白」
「消しゴムは? シャープは?」
「……もう持ってるのがある」

 そうだね、まあ家で生活する人間が一人増えるわけだから、その為に必要なものは買わなくちゃいけないんだけど。
 でもそんなのいちいち聞かなくても、なんでもいいと思うけどなあ。

「えへへ」

 品物をかごに入れながら、不意に姉が笑う。

「な、なに?」
「こうやって、郁乃といっしょにお買い物できるなんて楽しいよね?」
「ん……そうかな」

 姉はわけもなく楽しそうだ。
 まあ、わたしだって嫌ではない。  
 入院している間、ベットの上でこういう生活をずっと楽しみにしていたわけだし。
 でもそのテンションはちょっとはずかしい。

「後、なにか買っとく物あったっけ?」 
「無いと思う。大丈夫」

 思いつくものを全部買っていたらきりが無いだろう。
 もし少しくらい足りないものがあっても、それに気が付いたときまた買えばいい。 
 それよりも、長時間の買い物で少々疲れた。
 
「十分だから、もうそろそろ帰ろうよ」
「じゃあ……えっと、後90円ぐらいで買うものってなんかない?」

 しかし、姉は商品を指折り数えながらよく分からないことを言った。

「はあ? 90円??」
「えへへ、これ」

 にへらーと微妙に怪しい笑顔を浮べて、姉は財布から折りたたまれた紙片を数枚引っ張り出した。

「福引券?」
「うん。というか、福引の補助券」

 よくあるサービスだ。
 お店が営業の為に一定周期で開催している。
 お買い物500円ごとに補助券が一枚。
 それを10枚集めると、一回福引が出来るそうだ。つまり、

「あと、85円分買えばもう一回福引できるから」
「……」

 せこい。せこすぎる。
 ときどきいるよねえ、こういう人。主婦気質っていうのかな?
 でもたかが福引の為に余計な買い物をするのって、真剣に計算すると無駄だと思うんだけどなあ。  
 まあいい。たった100円ぐらいだし。何か適当に買って帰ればいいんじゃない?

「じゃあ、この洗剤とかどう?」
「あ、マ○レモンか。ちょうど予備切らしてたし、いいかも」
「じゃあ、これ買って帰ろうよ」
「あ、待って。でも消費税込みで109円だから……10円以上もはみでちゃうなあ」
「……」

 姉はマ○レモンを棚に戻すと、また真剣な目で商品を探し始める。
 つ、つかれる……
 消費税とか10円超えるとか、もうわたしには理解出来ない世界だ。
 姉にとっては意味があるんだろうけど……  
 わたしはいろいろなことを諦めて85円になるべく近い商品を探し始めた。
 85円、85円……ないなあ。そんな半端な金額の商品って、どこにあるの?
 わたしは85円の商品を求めてスーパーを探し回った。30分以上探し回った。
 しかし、無い。ない。どこにもない。
 もう、泣きたい。

「あ、」

 特売ワゴンセールの枠で、わたしはそれを見つけた。
 いわく、消費税込みで85円の芋たわし。
 ……芋たわしって何??
 芋で出来てるたわし? それとも芋を洗う為のたわしなんだろうか?
 まあなんでもいいや。とにかく姉にみてもらおう。
 ……って、その姉をまたここから探さないといけないのかあ。
 やれやれ。

 姉は何故だか生鮮食品売り場の品物を漁っていた。 
 恐らく85円に都合のいい品物を探し回っているうちにここまで来てしまったのだろう。
 わたしと姉は別れるまで5階の雑貨店にいたはずだった。
 姉がこの地下二階の食品売り場まで、果たしてどのようなルートを辿りここまでたどり着いたのであろうか。
 ちょっと離れた位置から姉の様子を観察。
 『85円、85円……』とつぶやきながら、姉はワゴンに並ぶ品物をとっかえひっかえにしていた。
 その怪しい様子に隣で商品を見ていたおばさんが溜息をついて去っていく。 
 なんというかもう……ゴメンナサイ。
 他人のフリしてそのまま立ち去りたい衝動を抑えて、わたしは姉の背中に声をかける。

「お姉ちゃん」
「あ、郁乃。85円の見つかった??」
「う、うん……」

 その勢いに何も言えず、私は大人しくみつけた品物を姉に手渡した。 

「あ、芋たわしだ」

 名札もついていないのに、姉は一目でこの商品の素性を見抜いた。
 なんで分かるんだろ?
 もしかして、わたしが無知なだけでこの商品は案外メジャーな品物だったんだろうか。
 それは絶対信じたくないけど。

「普段は240円で売られてる高級たわしなんだよ。
 高級品の枠で売ってるんだよ。」
「あっそ……」
 
 いつも売ってる価格まで把握してるのか。
 そのたくましさだけは素直に感心することにしておこう。
 でも、値段を大声で叫ぶのはやめて欲しい。

「えへへ。ちょうど福引もできるし、たわしも安く買えて得したね、郁乃」
「わかったから。さっさと買って帰ろうよ」
「あ、でも……ちょっと待って。やっぱりマ○レモンも……」
「……」

 もう知るか。わたしは疲れた。
 これ以上こんなことに付き合う気は無い。

「あ、ちょっと〜〜郁乃ってば、離して〜〜」

 わたしは芋たわしと姉の手をしっかりと引っ掴んでレジへと向かった。
 絶対離すもんか。 
 
 
 まだ納得いかない様子の姉の手を引いてやってきたレジ。
 レジの隣には紅白の垂れ幕を備えた福引会場が用意されていた。
 ……この福引の為に、わたしは85円の商品を探し回ったわけだ。

「あれが福引会場だよ」
「うん」

 姉が福引の垂れ幕の向こうを指差して説明してくれる。
 しかしわたしだってそんなこと言われなくても分かってる。
 姉はわたしがずっと病院にいたから、何も知らない箱入り娘みたいに思っているんだろうか。
 しかしいくらなんでも福引ぐらいは知っている。 ……まだやったことはないけど。
 会場に用意された机の上には、福引に使うあの機械がある。
 えっと……名前なんだったけ?
 あの、ガラガラって廻すと中から色のついた玉が出てくるやつ……

「ねえ、郁乃も『ガラぽん』やろうよ?」

 ガラぽんって言うな。まあ気持ちは分かるけど。
 たぶん、ガラガラとガチャポンをあわせて言ってるんだと思うけど。
 でもあれはそんな名前じゃなかったはず。

「わたしはやらない。ここで休んでいたい」
「そう?」

 実はちょっとやってみたいかな、と思わなくもなかった。
 でも、些細な理由でわたしは福引には参加したくなかった。
 自分の幸運も信じてないし。それに……

「あんまり目立ちたくないしね」

 車椅子というのは、何をやるにも目立ってしまうものだ。
 それに、車椅子で列の中に入るのは結構人の迷惑にもなりやすい。

「そっか」

 姉は頷いて一人福引会場へと向かった。 
 わたしはそれを遠巻きに眺めているだけ。
 会場では、カランカランと福引の鈴が鳴っていた。 

「おめでとうございま〜〜す! 4等の商品券です!!」

 ”ガラぽん”を廻していたおばさんが、はっぴを着た店員から商品を受け取っている。
 500円分の商品券。結構けちくさいなあ。
 でもおばさんは嬉しそう。にこにこしながら商品券を財布の中にしまいこんだ。 
 まあ、そりゃあ当たればなんでも嬉しいものだよね。
 その後も列に並んだ人々は、喜んだり悔しがったりしながら一人ずつ福引を済ませていく。
 なんだかんだ言っても楽しそうな光景ではあった。

「……」

 やっぱり、行ってもよかったかな……?  
 こうして見ているだけなのも少し寂しい。
 しかしそう思っている間に福引の列は消化され、やっと姉の番が周ってきた。   
 
「いくの〜。今からやるよ〜」

 恥ずかしいから手を振らないで…… 
 視線で睨みを効かせてみるが、姉には通じない。
 仕方ないから、わたしも手を振り返しつつ愛想笑い。
 これなら自分でやったほうがマシだった。 
 姉はがらがら福引を廻す。一回目は白。はずれ。
 がらがらと二回目。白。はずれ。

「……」

 姉が助けを求めるようにこっちを見る。
 いや、どうにも出来ないから。
 仕方ないから応援のつもりで手を振ってあげた。
 姉もまた手を振り返し、また福引を廻す。
 3回目、白。4回目、白……
 黙々と福引を廻す姉の背中がなんだかだんだん小さくなって見える。
 まあ、これぐらい外れるのも確率的にはありえないことでもない。
 5回目、白。六回目、白。
 7回目…………ま、また白。  

「……」

 わたしは列に並んだ人の福引をずっと見ていたが、7回連続ではずれを引いた人はいままで居なかった。
 わが姉ながら、なんと運の無いことだ。
 8回目も、白。9回目……白か。

「わーーーん、郁乃〜〜」

 はずれ品のポケットティッシュを両腕に抱えて、姉が福引の会場から逃げるように戻ってきた。 

「わたしって、運とか無いのかなあ」
「ただの偶然だから」 

 ここで正直に思ったことを言ってはいけない。
 それぐらいわたしにも分かる。

「残念だったね、福引。終わったならもう帰ろう」
「ううん、あと一枚残ってる」
「え?」

 姉がわたしの手に握らせる。
 ずっと握り締めていたのか、少ししわになった福引券。
 これをわたしにどうしろと? まさか。

「郁乃、わたしのカタキとってよぉ」

 やっぱりか。
 
「カタキって言われても。一枚で当たるわけないよ」
「び、びぎなーずらっく……」

 なんだそれは。

「お姉ちゃんがやってよ」
「だ、だってわたしがいくら引いても当たらない気がして」
「……」

 まあ、正直わたしもそれは思った。 
 それに8連敗の姉をもう一度福引させるのは確かに可哀想だ。
 仕方ない。

「じゃあ、わたしがやる」
「うん。がんばれっ、郁乃!」

 何をどう頑張ればいいのか。
 返す言葉が無かったので、その声援は無視してわたしは福引の列の末席に並んだ。
 列から見える福引の景品置き場には、最新型のテレビや冷蔵庫。エアコンなども並んでいる。
 まあ、あんなの滅多に当たるはずないよね。
 それでも自分に当たったらどうしよう……と、つい考えてしまうのも人の欲望。
 テレビはともかくとして、冷蔵庫あたり当たったら、きっとお母さんは喜ぶだろうな、とか無駄なことを思う。
 わたしにとって、初めての福引だ。
 一回だけでなにかが当たるはずもないけど……なんだかちょっと、どきどきする。
 そしてついにわたしの番がくる。

「はい、お嬢ちゃんの番ね」

 ……このおじさんにはわたしが何歳に見えているのだろうか。
 お嬢ちゃんはないだろ。
 わたしは店員のおじさんに心の中だけで文句を言って福引券を渡した。

「はい、一回ね。ありがとうございます」
「どうも」

 そしてわたしの目の前には福引の機械。
 えっと……ただ廻せばいいんだよね? 
 これをどうやって廻したら当たる……とかいうのは無いよね。やっぱり。
 考えても無駄なので、わたしは素直に福引の機械を廻した。
 ちなみにこ姉の言うところの『ガラぽん』だが、正式な名前は『新井式回転抽籤器』というらしい。
 気になったから後で調べた。まあどうでもいいことだけども。
 からん、からんと乾いた音をたてて運命の福引が廻る。
 二回半も廻したところで、ころんと福引の玉が零れ落ちた。

「あ」

 綺麗な、虹色の玉。
 白じゃないので、はずれでは無いのはわかった。
 見上げた福引の当選票にはこの色の玉が書いてない。
   
「あの、これ何等ですか?」

 福引のおじさんに聞いてみた。
 しかし、わたしが出した玉を何故かおじさんは呆然とみつめている。
 
「お、お……」
「お?」
「おッめでとうございますううううう!!!!」
「わあっ?」

 手にしていた当選の鐘を力いっぱいかき鳴らしておじさんが大声で叫ぶ。
 ああ、驚いた。

「来栖川製の最新型メイドロボ、ご当選〜〜〜!!」
「……はあ?」

 いま、この人なんって言った??

 これが、わたしとイルファさんとの出会いのきっかけ。
 85円の芋たわしと、びぎなーずらっくが取り持つ縁。
              上に

   以上が『メイドロボ・当選しました 第一章』です。読んで下さった方が居ましたら、ありがとうございます
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