四月二十三日[水曜日]
爆弾が爆発しちゃったのは、この日のこと。
しかも、きっかけは陽平だった。
ろくなことをしない奴だと、今回ばかりは本当にそう思う。
その日、あたしと椋が姉妹で仲良く廊下を歩いていると、暗いオーラを漂わせながら廊下にうずくまって泣いている春原陽平に出会ってしまった。
朝から縁起の悪いことだ。
あたしは放っておきたかったんだけど……そのあまりのミジメっぷりに、優しい椋が話し掛けてしまった。
「あの……なにかあったんですか? 春原くん」
「僕さ……昨日、”自分に好意を寄せてくれる子がわかるおまじない”ってのをやってみたんだよ……」
なんでも、おまじないをした後で廊下で話し掛けてきた人が、自分に好意を寄せている人だというルールらしい。
この話を聞いた時点で殴りたくなってきたけど、我慢する。
「でも、だれにも会えなかったよ……校舎を五周も歩き回ったのに……信じられないよ……」
「そりゃ、あんたなら当然の結果よ」
信じられないとか、言ってることのほうが信じられないと思う。
「い、いやあ……普通はそんなもんだって! 岡崎だって、誰とも縁がなかったみたいだぞ」
とんでもないことを言ってくれた。
「え……? 待って下さい…… 岡崎くんもやったんですか? そのおまじない」
案の定、椋は朋也の名前を聞き逃さなかった。
「ああ、僕の後で岡崎もやったよ」
「いつ、どこで?」
「えっと……昨日の放課後、資料室で」
やっぱり最悪だ。この男は。
昨日の放課後、資料室の前であたしと椋は朋也に出くわしていた。
自分を好きなひとがわかるおまじないをかけていた朋也と、ふたりが同時に話し掛けていた。
本当に、ひどい話もあったものだ。
−前編ー四月二十四日[木曜日]
その日、学校からの帰り道。
椋と交わす会話も、どうしてもさっき陽平から聞いた話になってしまう。
好ましいことじゃないけど、さすがにそれを避けるのは不自然だった。
「お姉ちゃん……岡崎くんと昨日廊下で会ったのって……おまじないの効果なのかな ……」
「……そうかも。あんたの気持ち、朋也に知られたかもしれないね」
「……」
あたしが一緒に朋也に話し掛けたことに関しては触れないでおく。
そのことに、椋が気付いていないことを祈るしかない。
「でも、だだのおまじないだしね。朋也はなんにも気が付いてないかもしれないし、あんまり気にしても、仕方ないかも……」
「……」
椋はなにも答えてくれない。
さっきから何事かを考え込んでいるように見えた。
どうかこのまま気付かずにいて欲しいと、あたしは心の底から願っていた。
でも、やっぱり爆弾は爆発しちゃった。
不意に椋は足を止めてうつむいた。
「……どうしたの? 椋」
「……よく考えてみたら、いろいろ思い当たる事あるよね。私がいままで気付かなかったのがおかしいくらいだね」
そして、椋は悲しそうな微笑を浮かべながら、はっきりとこう言った。
「お姉ちゃんも、岡崎くんのことが好きだったんだね」
――断言された。せめて、疑問系で聞いて欲しかった。
そうしてくれたら、バケツ百杯分の嘘をついてでも隠し通してみせたのに。
ごまかしつづけたあたしの一年半の努力が、この瞬間に無駄になった。
あたしの気持ち。
誰にも知られずにいられたら、せめて恋を夢見ることだけはできたのに。
明日からはもう、それもできなくなった。
ガタガタ……
「おっかしいわねえ……なんで開かないのよ……」
さっきから何度ドアノブをいじっても扉は開かない。
体育倉庫室の無骨な扉は、年代物ではあるけれど、丈夫で錆びることもなく手入れされているはずだった。
委員長として、いろんな用事でここを訪れるあたしにはよくわかる。
だから、扉が開かない理由なんてまったく思いつかなかった。
さて、どうしたものか……
大声を張り上げて、だれかを呼んで助けてもらおうか……
自慢じゃないけど、フルパワーで声を張り上げれば校庭の端から端まで声が届く自信がある。
と、そこまで考えていたところで、ふと気付いてしまう。
あたしは今、朋也と二人きりでここに閉じ込められているということに。
(や、やだ……どうしてこんな時に……)
よりにもよって、昨日の今日だ。
昨日、春原からあの話を聞いていなければ。
それ以前に、椋のトランプ占いを気にしてのこのこ旧校舎なんかに行かなければ。
こんな状況でも喜ぶことが出来たかもしれない。
朋也と二人きりで、なにかがおきるんじゃないかって、たわいもない妄想でもして。
ちょっとだけ、幸せな夢が見られたかもしれない。
でも、今は追い詰められたような不安が増すばかりだった。
あたしの気持ち……椋の気持ちも、もしかしたら朋也に知られているかもしれない。
体育倉庫室の中はしんと静まり返っていた。
いつもなら野球部や、サッカー部やらが元気な掛け声をあげて練習している時間だった。
それなのに、今日に限ってなんでこんなに静かなのよ……
暗闇の中で、朋也の息遣いまで聞こえてきてしまう。
朋也がなにを考えているのか気になるけど、暗くてよく顔がみえない。
そのことが、あたしをとても不安にさせていた。
「えっと……すまん、杏」
突然、朋也が頭を下げた。
「な、なんでいきなりあんたが謝るのよ……」
「よくはわからんが、こうなったのは俺のせいかもしれん」
「よくわからないって……」
よくわからないのに、こんなことが起こせるもんか……
と言いかけて、思いついたことが一つあった
「ねえ……あんた、また”おまじない”ってのをやったわけ?」
「な、なんでそんなこと杏が知ってるんだよ……」
「昨日、陽平から聞いたから」
「ぐは……」
「すごく良く効くおまじないなんだってね」
「そんなの、よく信じる気になったな……」
「ぜったいはずれる占いっていうのが身近にあるしね」
それに、あたしの気持ちもみごとに当てられている。
「あんたも春原の後でやってみたんだって? おまじない」
「……あいつ、ぶん殴る……」
「もうあたしが殴っといたから。椋に泣いてすがりつこうとするもんだから、つい全力でなぐっちゃった」
「いや、俺も追加で殴っとくから」
「そう? まあべつにいいけど」
『よくねえよっ!』と、誰かの声が聞こえてきたような気がするけど、とりあえずは無視。
だって、今のあたしはそれどころじゃないから。
「で、どうなの? おまじない、やったの?」
「その通りだ……すまん」
朋也は素直に謝った。でも、だからって許せるものではない。
「……謝るぐらいなら……最初からやらないでよ……」
ほんと……やらないでよ……謝るくらいなら……
謝ったってことは、あんたはこうなることを望んでなかったってことなのね……
「あんたって、ひどいことするのね」
「すまない。閉じ込めてしまったことについては謝るけど、ほんとに手違いなんだ」
うわ。手違いだって。
それはあんまりな言葉だなあと、あたしは思う。
そりゃ『おまえと二人きりになりたくてここに閉じ込めたんだ』なんて、言って貰えるとは思ってないけど……手違いなんてあんまりじゃない?
「そうじゃなくて……ううん、それもあるけど。この前のおまじないのことよ。あんたのことを想ってる人の気持ち、知ってどうするつもりだったの?」
「い、いや……べつに、春原がやってたのに、つられてやってみただけで……ほんとに効果があるなんて思ってなかったし……」
そりゃ、ひどいわね。ほんとにひどい。
朋也の話を聞いているうちに、なんだかあたしは泣きたくなってきた。
あたしだって、椋だって、どんな気持ちであんたのこと見てたと思ってるのよ……
昨日の椋の泣き顔が頭をよぎった。
秘密に気が付いた椋はあたしに謝った。
あの娘はなんにも悪くないのに、ごめんなさいって、何度もあたしに謝った。
泣きながら何度も謝って、そして。
『でも……わたし、それでも岡崎くんのことが好きだから……』
椋はあれから部屋にこもりっきりだ。学校も休んでる。
もちろんあたしには慰めることなんて許されないし……
ねえ、朋也。あんたはそういう気持ちを知りたいわけ?
昨日から……いや、ほんとはずっと前から溜め込んできた、どうしょうもなくやるせない気持ちが、あたしの中で暴れまわっている。
抑えなきゃいけないのに、もう抑えられそうにない。
「あんた、好きな人がいて、そのことを伝えたくて……それなのに言えなくて。そんな女の子の気持ちって、考えてみたことあるの?」
どうせ、こいつにはそんなことはわかりっこないだろう。
そんな人を好きになってしまった自分を恨むしかない。
「あたしだって、おまじないくらいやったことあるわよ。でも、そういうのって誰か気になる人がいたり、恋に憧れたりしてやるものでしょう? 興味もないのに女の子の気持ちを引きずり出すなんてひどいよ……」
「……」
「そんなに知りたかったのなら教えてあげる。もう知ってるみたいだけど、あたしはあんたのことが好きなの」
初めて会ったときから、ずっと朋也のことが好きだった。
本当にもう、すごく好きで。
彼の姿を見つけるだけで嬉しくて。
そんなふうに感じられる自分のことも嬉しかった。
自分の心の中に、誰かのことが好きだっていうすごく純粋な気持ちがあるって思えて、そのことに幸せを感じられた。
「でも告白なんてできなかった。ずるいことかもしれないけど、片思いでも、ちょっとした触れ合いがあたしの大切な幸せだった。それを壊したくないって、思ったらいけない? そんな、ささやかだけど大切な思いっていうのを、あんたは知らないの?」
「……」
「あたしのこと、好きでもなんでもないんだよね? それなのに、あたしはあんたに気持ちを無理やり知られちゃって……おまけに逃げ場の無い場所に、二人っきりで閉じ込められて。あんた、あたしにどうしろっていうのよぉ……」
悔しいことに、涙まであふれてしまう。
「杏……」
みじめになるから、泣き顔なんて見ないでよぉ……
でも、どこにも逃げられないし……
もう……やだ……
立ってる気力も保てなくなって、足元のマットに座り込む。
埃まみれの汚いマットだけど、そんなこともうどうでもよかった。
「杏?! 大丈夫か?」
朋也が駆け寄ってきて、あたしを支えようとする。
「や……触んないで……あんた、あたしのこと好きでもなんでもないんでしょ……」
悔しくてぽかぽか叩いたけど、そんなんじゃ朋也は止められなくて、あたしは子供みたいに抱きすくめられてしまう。
「と、と……もやあっ……ぐすっ……」
嬉しいなんて思っちゃいけないのに、胸の奥から熱いものが込み上げてきた。
ああ……やっぱり、あたしも好きなんだ。ばかだなあ、あんなことがあったのに……
ずっと、言ったらいけないって思ってたことを全部言ってしまって。
だから、もうなにもかもおしまいなんだって、そう思った。
せめて、いいお姉ちゃんでいたかったのに、それは叶わなかった。
せめて、大切な思い出にしたかったのに、それも許されなかった。
もう、あたしにはなんにもないんだ……
だから、今はたとえ同情でもいいから、優しくしてくれる朋也にすがってしまいたかった。
ぼろぼろのあたしは、朋也にすがりついてわんわん泣いた。
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次回に続きます。
続きはそれほどお待たせしないつもりでいますので、よろしくお願い致します。