
河野 貴明という男がいる。
最近出来た、お姉ちゃんの彼氏。
でも、最低のアホで、無神経で、甲斐性なし。
つける薬も無い大馬鹿者。
あの男がうかつにウエディングケーキの約束なんかしたおかげで、あたしのお姉ちゃんは暴走状態に突入している。
だいたい、結婚なんて考えるだけでも早すぎるとあたしは思うけどなあ。
「郁乃、結婚の準備って、なにから始めたらいいと思う?」
それなのに、お姉ちゃんはさっきからそんな話題ばかりを口にする。
そんなこと、あたしに聞かれても分からないし。
それに、聞いてどうするつもりなのよ……
「そうだ! まずたかあきくんのご両親に会わなきゃ!! 『息子さんをあたしにください』って、お願いしておかないといけないし!」
「いや……それって、男の方が言うセリフ……」
「それとも新居を探すほうが先だと思う? 落ち着く先を探して置かないと報告も……」
「お姉ちゃんが落ち着く方が先だって……」
あたしにあれこれと問いかけながらも、こっちの言葉なんて聞いてないみたい。
必死で答えてるあたしの気持ちも少しは分かって欲しい。
そんな不毛なお姉ちゃんの悩み相談は尽きることなく続き、あたしはそれに深夜まで付き合わされていたんだけど……
ふと、まるで電池が切れた自動人形のようにお姉ちゃんの動作が止まってしまう。
そして布団に頭から潜り込んで、そのまま動かなくなった。
「お、お姉ちゃん……?」
肩を揺らし、何度も声を掛けてみるけど返事がなかった。
静かになったのは助かるけど……一体、どうしたんだろう?
なんだか心配ではあったけど、あたしも眠くてどうにもならない。
ふと見ると、窓から眩しい朝日が差し込み始めている。
時計を確認して、後三十分だけでも眠れることを幸運だと思った。
「貴明……後はあんたがなんとかしなさいよ……もとはと言えばあんたの責任なんだからね」
そう呟いて、あたしもベットに倒れこんだ。
……その後、学校に行く時間になっても起き上がろうとしないお姉ちゃんの熱を計ったら、39度もあった。
あの男は……本当に大馬鹿だ。
―――――――――――――――――――――――――――
そんな話を郁乃から聞いていたわけだし、俺も愛佳のことは心配だった。
郁乃から『ちゃんと責任取りなさいよ』という、どういう意味に取っていいんだか微妙な言葉を貰って、
俺は今、愛佳の寝ている部屋の前に立っていた。
「大丈夫かな……愛佳……」
そして、ドアを開けて部屋の中に入った瞬間、いきなり誰かが抱きついて来た。
「郁乃〜〜、やっと帰って来たの? 相談したいことが一杯あるんだから〜〜」
……普通、いくらなんでも俺と郁乃を間違えないだろ……
まあ、相手も見ないで抱きついただけだろうけど。
それともまだ熱が下がってないからだろうか? だとしたら、そうとうやばいレベルだ。
それはそうと。
俺を郁乃だと思っているからだろう。愛佳は実にしっかりと俺にしがみついている。
ああ……いいなあ……
前から愛佳とこんな風にぎゅっと抱き合ってみたかったんだよなあ……
極端に恥しがりやの愛佳にこういうことを望むのはとても難しい。
出来れば、ときどきでいいから郁乃になりたいな……
「ねえ郁乃ぉ、結婚式って和式と洋式があるんだよね? たかあきくんはどっちが好きだと思う?」
愛佳は俺にまだ気づいてないらしい。
それにしても和式と洋式って、トイレじゃないんだから……神前結婚とかそういう言い方をするべきだろう?
和式なんて言ったら神主さんが泣くぞ。
「あ、あれえ? ……郁乃、短い間に随分体つきが逞しくなったねえ……まあ、別にいいか」
いいのかよ。
もう少し見ているのも面白いかと思ったが、そろそろ教えておこう。
「あのさあ、愛佳……郁乃じゃなくて、俺だって」
「あれ……? なんか、郁乃って声が随分太くなったねえ……」
……いくらなんでも、いい加減に気づくけよ。おい。
「あ、あれぇ……? こ、これ、郁乃じゃないの??」
やっと気づいたらしい。
「ああ、俺だよ愛佳」
「え? え? え? い、いく、いく、いく……」
「ああ、郁乃なら『やっと安らかに寝られる……』って言い残して居間のソファで寝てるぞ」
それをベットに運んでやるほど俺は優しくない。
運んでやったところで喜ぶ郁乃じゃないし。
顔に落書きしてやらなかっただけでも、俺としては気を遣った方だ。
「愛佳、熱出たって聞いたけど、大丈夫か?」
あたふたしている愛佳を強引につかまえて、額に手を当ててみる。
うん、やっぱり熱いかな……
「うう……そんなことされてたら、余計に熱くなるよぉ……」
「そうか?」
見舞いに来て、ますます熱をあげさせてしまったのでは本末転倒だ。
もうちょっとこうしていたい気もするが、このへんにしておこう。
「で、愛佳。悩みはどうなったの?」
「な、悩みって、何のことかなあ?」
「悩みすぎて熱が出たんじゃないかって、郁乃がいってたぞ」
「そんなんじゃないよ〜ただの風邪です。近頃暑いから」
「理由になってないぞ、それ」
いまさらとぼけるつもりなのか?
はっきり言ってやるしかないのだろうか?
……また熱を上げることになりかねないけど。
「なんか、俺の両親に用があるんだって?」
「や、やだなあ……あたしそんなこと言ってないよ……」
「新しく、住む場所も探してるんだって?」
「あ、あうあう……」
「結婚式の形式で悩んでるらしいけど……神前結婚だとウエディングケーキは合わないんじゃないのか?」
「や、や、もう、ホントにやめて〜〜」
愛佳はもう顔も上げられなくて俺を両手で押し返す。
あ、なんか愛佳にこんな風にされるのも久しぶりだな。
「たかあきくん……ずるいよぉ……郁乃のふりなんかして……聞き出すなんて……」
「いや、そんなつもりは全く無かったぞ……」
そんなだまし方をしようという発想が絶対ありえない。
そんな勘違いが出来るのも、この世で愛佳だけだろう。
「ううぅ……なんか、また熱が上がりそう……」
「もしかして、来たら迷惑だった?
「や、そんなことないですよぉ……」
愛佳は一応否定はするが……だったらなんで丁寧語なのさ?
「俺、やっぱ帰ろうかな……」
「や、迷惑って言うんじゃなくて、ちょっと驚いただけです、ええ」
愛佳はベットサイドのい置いてあったペットボトルに手を伸ばし、ごくごくごくっと水を飲んだ。
「ふう……やっと落ち着いた……」
「で、そういう楽しい悩みばっかりなのか? それで熱が出たとも思えないけど」
「そんな〜〜まじめな悩みだってあったよ〜〜」
「じゃあ、それを聞かせてもらおうか?」
「う……なんだか誘導尋問にひっかかったみたい……」
なんとでも言ってくれ。
恋人の悩みを聞くのが、彼氏の義務だ。
ちょっと可哀想ではあるけど、愛佳はここまでしないとなんでも一人で抱え込んで話してくれないんだよ。
「俺が相談に乗れることって、なにも無いのか?」
「えっと……」
愛佳は、少し遠慮がちに……それでもやっぱり話したかったことなのだろう。
「あのね、言うべきことじゃないかもしれないって思ってて。でも、一人でいくら考えても、答えは出なかったから……」
「うん」
「あくまで、たかあきくんの個人的な意見として、聞いておきたいだけなんだけど……」
「ああ」
「結婚って……どうすれば出来るのかな?」
「……え?」
一瞬、言葉の意味が分からなかった。
まあ結婚式とか婚約とかは、あれはただの儀式だから……
法律的には市役所か何処かに書類を提出すればいいんだろうな。
でも、さすがに愛佳が聞きたいことは、そういうことではないよな?
「なんだか、上手く言葉に出来ないんだけど……あたし、ずっと考えてたことがあって……」
「……話してみて?」
「本当に真剣に考えたら、あたしたちが一緒に暮らすって……そんなに簡単なことじゃないよね?」
「それは……」
「ねえ、たかあきくん……正直に答えて。例えばの話だけど、あたしが今すぐ結婚してくださいって言ったら、どうする?」
「愛佳を押し倒す」
即答した。
「ええっ?!?! や、や、ちょっと待って……た、例えばの話だから!! それに、あたし汗かいてるし! 昨日はちゃんとお風呂にも入れなかったし……じゃなくて……」
「まあ、俺も例えばの話をしたつもりだけど」
愛佳はあわててペットボトルに手を伸ばして、またごくごく飲んだ。
そんな、怯えなくたっていいと思うけどなあ。
「はあっ……もう、茶化さないでよぉ……真剣な話なんだよ?」
「だって、正直に答えろって言うし……っていうか、誘われてるのかと思ったよ」
普通、そういう意味に捉えると思うぞ。
「や、あの、誘ってるわけじゃないからね? あと、この目覚まし時計、結構頑丈だから」
その頑丈な目覚まし時計を手にとってどうする気だ?
「俺は正直に答えただけなんだが……そこまで否定されると、何か悲しいな……」
「えっ? あ、あの……別にイヤだってわけじゃないですし、でも……今はちょっと……その……」
「まあ、それはもういいから。先を話して」
本当は良くはないが、とりあえずは愛佳の話が先だ。
「あ、あのね? 真面目な話、今すぐ一緒に暮らすって出来ないと思うの」
「まあ、それは将来のことだよな」
「でも……将来っていっても、今のあたしには見えないし。考えても、分からなかった」
「…………」
「あせってばかりで、なんにも見えなくて……どうしよう、何をしたらいいのかなって……そう思ってたら、眠れなくて、悲しくなって……」
「うん…………」
それが熱の原因か……
こういうことを、熱が出るまで考え続けていたんだろうか。
「たかあきくんと恋人になれて……すごく幸せだけど……でも、時々とても不安になるの……今の幸せって、いつまで続けることが出来るんだろうって……」
そういえば……
愛佳とは進学の話は一度もしてなかったな……
俺と比べると、愛佳は随分成績がいいけれど……どこの大学に進むんだろうな……?
俺が同じ大学に進むのは、不可能ではないけれど……やっぱり難しいだろうな。
それに、一緒の道に進むなんて決めて……そのことが相手の負担になってしまうかもしれない。
「たかあきくんと恋人同士になれて、すごく嬉しいけれど……時々、すごく寂しい気持ちになるの……どうして、いつも側に居られないんだろうって……」
そして一息。
「本当の結婚の約束って……一体どうすれば出来るようになるのかな……? 大好きな人と、ずっと、ずっと一緒に居られるようになるためには、一体どうしたらいいのかな……?」
「ん……」
愛佳に答えを求められて、不意にあの時を……あの書庫で過ごした愛佳との時間を思い出す。
恋人ごっこから始まって、あのちいさな空間で、二人だけの静かな時間を過ごした。
不器用だけど、いつも一生懸命に応えてくれた愛佳。
みんなが言ってる男女の関係に、なんだかなじめなくて……二人だけの答えを求めていた。
あの時からずっと……多分、今もきっと探し続けている。
「愛佳、これを開けてみて」
自分の思いを話し終えてた後、俯いて黙ってしまった愛佳に、俺は持ってきた箱を差し出した。
青いリボンで丁寧に包装された洋菓子の箱。
「えっ?」
「お見舞いだよ。愛佳がケーキのことで悩んでるって聞いたからさ、参考になるかと思って選んだんだ」
「な、なんで? 今?」
「まあ、とにかく開けてみてよ」
「う、うん……」
愛佳のどこか丸っこい手がケーキの包装を解いていく。
前にそんなこと言ったら怒られたけど。好きなのになあ、その手が。
「わぁ……たかあきくん、これって……」
「うん」
白いドームケーキの土台に、舞い散るように塩漬けの桜の花びらが飾られているケーキ。
周囲は苺ジャムで色づけた桜を模った絞りクリームが飾っている。
桜の花びらのような可愛らしい淡いピンク色のチョコ飾りをそえてある。
なにもかも桜尽くし。
「これは桜のケーキだよ」
「桜の……ケーキ……」
お店でケーキを選んでいる時に、偶然見つけたものだ。
「綺麗なケーキだね……」
「試食もしたけど、味だってなかなかのものだったよ」
桜色が鮮やかなケーキはたしかになかなか綺麗なケーキだ。
でも、このケーキを俺が選んだのは、味や見た目の美しさだけではない。
「愛佳、あの日のこと憶えてる? 郁乃の手術があって、二人で桜の木の枝を探した日のこと」
「うん……」
ちょっとしたすれ違いから、見つかる筈の無い桜を求めて走り回った。
あのとき、たとえ本物がどこにもなかったとしても、今の俺が出来る精一杯のことを、愛佳には捧げたかった。
だから、みんなに呼びかけてタイを刻んだんだ。
愛佳にウエディングケーキを用意したいって思ったのも、きっとそれと同じことだと思う。
「あの日、愛佳のことを本当に特別な人だって感じたんだ……この世で一番大切な人だって思った」
「た、たかあきくん……」
「いつかきっと、こんな桜のウエデゥングケーキをさ、二人の思い出と一緒に、みんなに紹介出来たらって思うんだ。その時には、愛佳が食べきれないほど大きなケーキ、用意してみせるよ」
「うん……できたら……いいね……」
「まだ、本当の結婚の約束には出来ないけど……いつかそうなれたらいいねって、そういう約束だって、思ってくれる?」
「うん……」
愛佳は深く、ゆっくりと頷いてくれた。
「あたし……あの日のこと、絶対に忘れないから……いつまでも。そして、今日のことも……きっと忘れない」
そういう気持ちを、約束を、ひとつひとつ大切にすることが、いつか大切な未来に繋がるって、俺もそう思いたい。
「でも、本当に綺麗なケーキだね。大きなウエディングケーキにして、みんなに見て貰えたら、う、嬉しいかも……」
「ああ。そうだな……」
「それに、とってもおいしかったし。これならいくらでも食べられそう……」
「そうか、うまかったか……」
……ん? 今、”おいしかった”って、過去形で言わなかったか? も、もしや……
「って、愛佳!? そのケーキ、もう全部食べちゃったのか??!!」
「え??? だ、駄目だった? あたしのお見舞いっていうから、つい……」
「い、いや……食べちゃ駄目とか、そういう話じゃなくて……」
お、おかしい……さっきまで、ケーキは丸ごと残っていたはずだ……
ほんの一瞬、目を離した隙に……ケーキが丸ごと姿を消した?!
アップルパイひとつならまだしも、ホールのケーキをどうやって一瞬で……?
俺の額を冷たい汗が流れ落ちて行くのを感じる……
ウエディングケーキ……愛佳なら、完食するかもしれないな……
愛佳が食べきれないほど大きなケーキ……俺は本当に用意することが出来るのだろうか?
それよりも、そんなケーキがこの世に存在するのか?
愛佳のためのケーキを探す……それは五月に桜の花を見つけ出すことより大変なのかもしれないな……
さっそく壁にぶち当たった、俺と愛佳の約束だが……
まあ、きっと叶えてみせるさ。
「で、このケーキのおかわりは?」
「……ありません」
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