わたしが初めて恋を知った時

 その日、家族と病院職員以外はめったに人も来ないあたしの病室に珍客がやって来た。

「郁乃、こちら同じクラスの河野 貴明くん。クラスの用事でちょっと寄らせてもらったの」

 お姉ちゃんの説明を受けて、その男は軽く頭を下げた。
 あたしも冷静を装って返事をしておくけど、内心は落ち着かない。
 あのお姉ちゃんが男を連れて来るなんて……
 なんか名前で呼び合ってるし……やっぱりこれってあれだよね?
 そんな日はあと十年は先か、へたしたら一生来ないかも……とか思ってた。
 というか、どうしてあたしの病室に連れて来るのよ……
 心の中に、いろんな種類の焦りが渦巻いている。

「たかあきくんごめん、洗濯物片付けてくるから、郁乃をお願い」

 そう告げてお姉ちゃんは出て行ってしまう。
 ちょ、ちょっと待ってよ!
 おかげであたしは、名前以外はなんにも知らない男と二人きり。
 困ったなあ……
 その気持ちは相手も同じらしく、せわしなく視線を動かして部屋を観察し、
 ふとあたしと目が合ってしまう。
 そんなにじろじろ見ないで欲しい。
 ほんと、困ったなあ……
 貴明との出会いはそんな感じだった。


 あたしは男の子と話すのは苦手……と言うより、あんまり話した事が無い。
 普段はずっと病室や家にいるし。学校にも一応行ってるけど……
 でも、そこは闘病生活が長い子供にも学歴を与えるための小さな擁護学校で、同年代の男の子なんて一人もいない。
 だから、今あたしの病室であたし宛のお見舞い品を無遠慮に品定めしてる貴明を見ても、
(男の人ってこういうものなのかな……)
 とか考えてしまう。よくわからない。
 だいたい貴明は、何しにここに来てるんだろう。
 あたしがいろいろキツイことを言って、最初は怯んでたみたいだったけど、今日は平然としてる。
 やりにくいなあ、もう。

「で、あんたのお見舞いは?」

 まだお姉ちゃんが来てないので、嫌味も含めて聞いてみる。

「郁乃には鉢植えでも持ってくりゃよかったな」

 あっそ。まあ本気で期待したわけどもないけどね。

「プレゼントって本当に難しいよね。相手のことをずっと見てないと、欲しがってる物なんてわからないんだから」 
「え……?」

 貴明があたしの言葉で動揺したみたいだった。
 そのまま何事かを考え込んでしまう。
 急にどうしたのかな……ほんと、よくわからない。

「わかったよ、次に来た時は何か持ってくる」
「ほんと?」
「ああ、楽しみにしてろよ」
「じゃあ、せいぜい楽しみにさせて貰うね。いったいどんなものを持って来てくれるのかな」
「あ、ああ……」
「どんな素敵な物を持ってきてくれるのかな、ほんと楽しみだな」
「う……」

 プレッシャーを懸けてやると、貴明は頭を抱えて考え込んでしまった。
 えへへ……なんか、久しぶりに貴明をやり込めた感じ。

 ――貴明が帰ったあとでお姉ちゃんにこの事を話したら、すごく困った顔してた。なんでかな?



 次の日、ぼんやりとベットに寝転んで昨日の事を考えていた。
”た、たかあきくんが誕生日プレゼントを選んでくれたの……” 
 恥かしそうに、でもすごく嬉しそうに話してくれた……

「相手のことをずっと見てないと、欲しがってる物なんてわからない、か……」

 それは、前にお姉ちゃんとあたしとで交わした言葉だった。
『いつか大切な人に出会って、素敵なプレゼントが貰えるといいね……』
 二人でそんな事を話したことがあった。
 だからお姉ちゃんも貴明に同じ言葉を……
 
 プレゼントを話題にしたおかげで、昨日はお姉ちゃんにずっと貴明とのなれ初めを聞かされるハメになった。
 はあ……お姉ちゃんってば、”言えないよ〜”なんて照れながら、勝手に全部喋っちゃうんだから。
 それにしても、あのお姉ちゃんが”恋”かあ……
 そう思うと、また焦りが沸きあがってくる。
 あたしは、恋なんてした事ないな……
 お姉ちゃんが貴明を連れてきた時にも感じた焦り。
 お姉ちゃんがあたしから離れちゃうかもしれないって事と、またあたしより先に行っちゃうこと。
 あたしもお姉ちゃんと同じ高校生だ。
 なのに、今のあたしは誰かに面倒かけないと、生きていくこともできない。
 このままじゃ……あたしの将来とか、未来とか、どうなるんだろう……
 はやく、あたしも何かをしないと……
 
 だから少しリスクを背負ってでも手術を受けて早く退院するつもりだった。
 それにしても、恋ってよくわからないなあ……
 お姉ちゃんが欲しがってたプレゼントじゃないのに、あんなに喜んだのは、なぜなんだろう?
 やっぱり貴明が好きだから?
 お姉ちゃんは、貴明のどこが好きなんだろう……

 そんな事を考えていたとき、ドアをノックする音が聞こえた。

「はぁい、どうぞ」

 応えながらも、誰だろうと考える。
 検温の時間……にはまだ早いから、世話好きでよくここに来る看護婦の高崎さんかな?
 でも、ドアを開けて入ってきたのは……

「よう、郁乃」
「た、貴明!?」

 な、なんで? 今日はお姉ちゃんはここに来る予定じゃなかったはずなのに。

「いや、病院に一人でくるのはなんか緊張するな」

 ……緊張してるのはこっちだと言いたい。
 貴明のこと、ずっと考えてたときに来るなんて……

「なにしに来たのよ……」
「そう睨むなよ……近くまで来たから、約束を果たしに来たんだ」
「約束?」
「これだよ」

 そう告げて差し出されたのは四角い包み。
 以前約束したお見舞いのことだろう。
 でも、形状から察するに、内容物は――

「あたし、本なんか読めないよ……」
「心配するな。看護婦さんにも相談して選んだから、お前でも読めるよ」
 そう言ってあたしにを本を押し付けると、
「じゃあ俺、長居するのもなんだし、もう行くよ」
「あ、あの……」
「何?」
「あ、ありがと……」

 貴明は、ちょっと驚いたみたい。
 あたしも、なんでお礼なんか言ったのかな……
 じゃあ、と言って貴明は出て行った。
 ああ、まだ胸がどきどきしてる……
 突然来るからだよ、もう……
 


 あたしはベットに寝転がりながら、貴明から貰った絵本を読んでいた。
 そう、貴明がくれたのは絵本。
 子供じゃないんだから馬鹿にするな、と思ったけど、最近は大人でも恋人なんかに贈ったりするんだって聞いた。
 ……別に恋人じゃないけど。
 貴明は看護婦の高崎さんに頼み込んで、プレゼント選びにつきあって貰ったらしい。
 その時のことがナースセンターでうわさになってて、看護婦さんの間では、貴明があたしの彼氏みたいに思われてる。

 「彼氏、一生懸命選んでたわよ」

 だから……あたしの彼氏じゃないんだってば……
 でも、お姉ちゃんの彼氏なのかな? それはまだ確かめていない。
 なんかこの本を貰ったことも言いにくいなあ……
 別に変な意味は無いんだけど、お姉ちゃんはどう思うかな?
 それとも、もう知ってるのかな……
 
 絵本の内容は、ありふれたいろんな品物にも大切な役目がある、ということを表現したものだった。
 またページをめくる。
 ”シーツにとってたいせつなのは、だれかをあたたかく包み込むこと”……
 退屈で他にすることも無いし、もう何十回と読んでいる。
 あたしが読めるように文字も大きくて、この部屋と同じ暖色系の色でまとまっていた。
 そういうチェックは看護婦さんがしたんだろうけど、貴明もいろいろ探してくれたのかな……
 なんか、そういうのって……
 眠くなってきた頭でぼんやりと考える。
 貴明って、あたしのことどう思ってるのかな……
 あたしはそのまま眠ってしまった……不覚にも。
 おかげで検温にきた看護婦さんに見られてしまった。
 あたしが絵本を抱きしめて眠っているところを。

「やっぱり彼氏からのプレゼントは特別みたいね?」

 だ、だから……彼氏じゃないんだって……
 もう、困ったなあ…… 

     
 でも――
 そんなふうに夢を見ていられたのも今日までだった。
 なにも……なにもあたしの寝てる間にいちゃつかなくたっていいじゃない……
 昼寝から目を覚ましたとき、貴明とお姉ちゃんが慌てて離れるのが見えた。
 どうして? あたしが居るこの病室で……
 あたしに見せつけたかったの?
 ……そんなわけないか。
 だって、貴明はあたしの気持ちなんて知らないんだから。
 なんだ……結局あたしが一人で舞い上がってただけなんだ。
 じゃあ、問題ないか。
 後はあたしの気持ちだけ。そして、気持ちなんて泣けば済むだけのことだ。
 だから、あたしは泣いた。
 一晩中泣いた。
 







 ……別に、傷ついてなんか、ない。
 もともと恋なんてしてなかった。
 今までの毎日が退屈すぎて、ちょっとした刺激で驚いただけだ。
 あんなのは、ほんとの恋じゃない。

 でも……だったら、ほんとの恋ってどんなものなんだろう?
 
 
 あたしは、包帯をはずして貰うために、診察室でお医者さんを待っていた。

「はあ……」

 これで、今日何度目のため息になるだろう。
 ちゃんと、納得できたはずなのに……
 手術も無事終わって、お医者さんも『大丈夫だよ』って言ってくれたのに……
 まだ、こころの中にもやもやした気持ちが残ってる。
 やだなあ……いつまでも気にしたって仕方ないのに。

 それに、お姉ちゃんのことも気に掛かる。
 ”桜が見たい”なんて言うべきじゃなかった。
 後で看護婦さんに聞いてみたら、とっくに桜の季節は終わってるって……
 余計なこと言ったなあ……もしかしたら今ごろお姉ちゃんは責任を感じているかもしれない。
 なんか、形だけ見るとあたしがお姉ちゃんに復讐してるみたいだ。
 もちろん、あの時はそんなつもりで言ったわけじゃないけど。
 でも、もしかして無意識の内に……そんなはず、ないよね……


「郁乃さん、大丈夫ですか? 包帯とりますよ?」
「あっ、はい。お願いします」

 いつの間にかお医者さんが戻ってきていた。
 そしてあたしの包帯が取られて行く。
 さすがに緊張する……

「ゆっくりと目を開けて 」
「……」
「まぶしい?まだよくみえない?」
「はぁ……」

 何度もまばたきするうちに、だんだんはっきりと見えるようになってきた。
 診察室の白い壁も、心配顔で見つめているお医者さんもはっきり見える。
 よかった……視力は戻っているみたい。
 もっといろんなものが見たくて、あたしは窓に駆け寄った。

「あ……」
  
 窓から見える大空に、花びらが舞ってる。
 桜色の花びらが。
 五月の風に乗せて、ゆっくりと舞っている。

 ううん、あれは桜じゃないよね?きっと、これは……
 詳しい事はわからない。
 でも真面目なお姉ちゃんが一人で思いつくことじゃない。
 これはきっと貴明の仕業だ。
 あたしのため、というよりお姉ちゃんのために。
 空にはどんどん桜吹雪が舞っていく。
 ああ……こんなにたくさん……
 とんでもないことするなあ。
 好きな人のためにここまでできるんだ……
 

 初めて知った。
 恋ってこんなにすごいんだ……
 これが本当の恋なんだ……
 
 桜の花びらは、もっともっと空に広がっていく。
 鮮やかな桜の色が青い空を染めていく。 

「……先生、姉の話を聞いてもらえますか」
「お姉さん?よく看病に来られてた?」
「ええ。ちょっと泣き虫だけど……たぶん、世界一の姉です」

 胸のもやもやは吹き飛んでいた。
 視力も戻ったことだし、これからいろんなことを頑張ろう。
 学校にも通って、本もたくさん読んで。
 そしていつか、あたしもほんとの恋をしてみたい。

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