「いい? このみ。ただ漫然と料理を作っているだけでは、何時までたっても上達しないし、なにより好きな人を喜ばせることはできないの」

 春夏さんがこのみに料理を教える時、まず一番最初に告げたのがこの言葉だったそうだ。
 そして、続けてこう言ったらしい。

「料理には、常に特別なテーマを持って望むこと。失敗を恐れてはダメよ」

 いい言葉だと思う。
 最後の一言を除けば。


それがこのみのお弁当

 
 このみとは、本当に物心つく前からの関係で、気が付いたら隣に居たっていうのは誇張でもなんでもない。
 そんなこのみと恋人になるってことは、今までずっと一緒にいたこのみと、これからもずっと一緒に居るってことだと俺は思う。
 実際、俺の日々の生活に大きな変化は無い。いままで通りだ。
 それでも、このみと恋人同士になってからの毎日は、新しい刺激に満ちている。
 ”女の子と付き合う”って、それだけで特別なことなんだって、つくづく思い知らされる。
 そこにはいろんな刺激があるんだけど、その中でも特に分かりやすいものが一つある。
 それがこのみのお弁当だ。


 たとえば、こんなことがあった――


 ある日のお昼休み、俺たち四人はいつものように屋上に集まっていた。

「はい、タカくん。今日のお弁当だよ。」

 このみは元気にお弁当箱を差し出した。
 ……今日は、普通の弁当箱に見えるな。
 だが、油断は出来ない。
 このみは普通のお弁当は作らない。
 このみのお弁当は、いつだって『特別』なのだ。

「いったい今日の”テーマ”は何なのかしらね?」
「早く開けてみろよ、貴明」

 このみはいつもお弁当の中身を教えてくれない。
 だから、蓋を開ける瞬間まで中身がなんなのかは判らない。
 それは平和な俺たちの日常にちょっとしたスリルを与えてくれる。
 俺は蓋を開けてみた。


「おっ……これは……」 

 鶏の唐揚げ、豚肉のしょうが焼き、とんかつ、エビフライ。

「うまそうだな……」
「タカくんの好きな味付けで、タカくんの大好きなおかずをいっぱい詰め込んだ、タカくん専用の”タカくん弁当”だよ」
「た、タカくん弁当……」

 その名前は勘弁してほしい。
 このみのお弁当には毎回必ずテーマが設けられていて、このように少し変わったお弁当になる。

「でも本当においしいよ。ありがとう。このみ」
「えへへ……」

 お世辞じゃなく、お弁当は本当に美味しかった。
 俺が好きな、塩味がちょっと強めの味付けで、俺の好きなおかずが本当にいっぱいで……ほんとにいっぱいで……

「でも、ちょっと構成が偏ってるわね。大丈夫? タカ坊」
「へ、平気平気」
「ご、ごめんね、タカくん…… まずかったら、無理に食べなくてもいいから……」
「大丈夫だって、本当に美味しいから」

 さすがにちょっとだけきつかったけど、残すつもりはまったく無かった。





 絶対に誤解して欲しくないので言っておくけど、このみは料理がとても上手だ。
 少なくとも、付き合うようになってからこのみの作った料理がまずいと思ったことは無い。
 ただ、このみは普通のお弁当は作らない。
 いつでも、なにか特別なものを作ろうとするのだ。
 だからそんなこのみと過ごす毎日も、いつも特別な一日になる。



 たとえば、こんなこともあった――


 その日のこのみは、朝から様子がおかしかった。

「あのね……タカくん、今日のお昼、一緒に食べられるよね?」
「ああ。特に用事も無いし、大丈夫だよ」
「あの……今日だけは、どうしても、なにがあっても来て欲しいの。お願いだよ?」

 なにやら悲壮感を漂わせたお願いだった。
 きっとまた、今日も特別な一日になるのだろう。

  
 そして、問題のお昼休みがやってきた。

「あの……タカくん……これ、お願いします!」

 今朝と同じく、なにやら悲壮感を漂わせながらお弁当を差し出すこのみ。
 いったい何があったのか……
 多分、このお弁当はいつも以上に特別なんだろう。
 蓋を開けてみる。


「うわあ……これは……」

 ハート型に切り抜かれたニンジンと、つがいのうさぎさんりんご。
 お弁当全体に漂うファンシーでスイートな雰囲気。
 そしてご飯の上に描かれた『だいすき』の文字……

「だ、”だいすき弁当”だよ……」

 ……だ、だいすき弁当、ですか……

「こ、このみ、さすがにこれは……やりすぎなんじゃないか?」
「だ、だって友達が、『恋人なら一度はこういうものも作るのが常識だ』って言うから……」

 ……その言葉を好意的に解釈するとしても、女の子の心の中のメルヘンな常識じゃないかな……
 俺は助けを求めるようにタマ姉たちの方を見た。

「逃げちゃだめよ、タカ坊。男なら、戦いなさい」

 ……ごもっともです。
 それに、俺もイヤだってわけじゃない。
 ちょっと怖気づいただけだ。

「タカくん……こういうの、イヤだった?」
「そんなことないよ。じゃあ、一緒に食べようか」


 そして今、俺とこのみは肩を寄せ合いながら一つのお弁当箱をつついていた。
 箱が小さいものだから、箸をのばそうとして、どうしてもこのみと身体がぶつかってしまう。
 そのたびに顔を真っ赤にしたこのみと顔を合わせてしまう。

「ご、ごめんね、タカくん」
「い、いや、平気……」

 弁当箱を二つに分ければいい、というのは野暮な意見だ。
 この弁当の特性を考えれば、これが正しい食べ方なのだろう。
 それにしても、周囲の視線のいくつかが、俺とこのみに集まっているように思える。
 俺が意識しすぎてるのかもしれないが……
 いや、気のせいじゃないよな。
 困ったように視線をそらしている下級生。
 にやにやしながら何事か囁きあっている同級生。
 やっぱり、何人かは気付いてるみたいだ。
 俺とこのみが挙動不審なのもあるけど、こういうお弁当には隠し切れないオーラというか、そういうものがあって。

「た、タカくん……はずかしいよぉ……」

 お前はそんな弁当をなぜ作る……と言ってはいけない。
 きっと恋人同士なら、それぞれ多少形は違っても、一度はこういう恥かしい道を通るものなのだ。


 ……いつも屋上で昼食を食べているみなさん。
 お騒がせしてどうもすいませんでした。




 ときどきこのみはこんな騒動を起こしてしまう。
 でも、料理に関してはとてもしっかりした女の子だと思う。
 このみはお弁当だけじゃなく、家にも食事を作りに来てくれる。
 以前は朝が弱くて、俺が迎えに行くまで起きて来なかったけど、
 今では逆に俺が起こされるようになっている。
 そして、朝早くから朝食を作ってくれる。
 セーラー服の上からエプロンをかけて、ちいさな身体でキッチンを走り回って。
 そんな姿を見ていると、愛しくて、背中から抱きしめたくなる……

 じゃなくて。

 いや、俺も最初はそういう邪な気持ちで見てたんだけどさ。
 でも、三日坊主だろうと思っていたこのみは本当に毎日頑張ってくれている。
 いくらなんでもそこまで任せきりじゃ悪いと思って、後片付けくらい俺がやろうと申し出たことは何度もある。
 でも、その度に断られた。 

「わたし、今はタカくんのためにお料理出来ることが幸せだから」

 そう言って、真剣に料理に打ち込んでいるときのこのみには、ちょっとだけ声をかけにくい。
 楽しそうにやっているんだけど、とても真剣で。
 このみは俺のために料理をしてくれているんだけど、その思いはどこか俺にも触れることが許されないような、そんなこのみだけの特別 な気持ちなのかもしれない。
 このみに失敗が多いのは、このみがドジだからじゃなくて、妥協しないからだと思う。
 このみは普通のお弁当は作らない。
 いつも特別なものを作ろうとしたり、新しい料理に挑戦したりしする。
 無難にまとめようとすることは絶対にない。
 だからこだわりすぎて失敗することだってあるけど、そのたびにどんどん上達していく。

「今日の晩ご飯は、舌ビラメのムニエルを作ってみるね」

 ――料理を本格的に始めてからまだ二ヶ月ほどなのに、もうこんな料理も作れるようになっている。
 やっぱりこのみはすごいと思う。


 
 そしてある日の昼休み。
 その日、このみが差し出したお弁当箱は、いつもよりずっと小さいものだった。

「なんだ? 随分小さいな……」
「大丈夫、予備のお弁当もちゃんとあるから。でも、まずこれを食べてからね」

 今度はなにを企んでいるのやら……
 俺は蓋を開けてみた。
 ちいさな弁当箱のなかは、ミートボールや小型ハンバーグなんかが並んでいた。
 ご飯には、のりたまのふりかけ。
 なんだか、やたらとガキっぽい。なんだこりゃ……へんな弁当だな……
 でも、どこかで見たことがあるような……
 特に、この変な形にウィンナーは……


「これはね、”おもいで弁当”だよ」
「おもいで弁当……」

 たしかに、どこか懐かしい感じがする。なぜなんだろう……

「タカくんが幼稚園に通ってた頃に食べてたお弁当を、再現してみたの」

 そうか! 思い出した。このウィンナーは確か……

「ああ、わたし覚えてるわ。このウィンナーは”ロケットウィンナー”よね。」


 そう。  

 俺の小さい頃の夢は宇宙飛行士になることだった。
 だから母さんに頼み込んで、こんな形のウィンナーを作ってもらっていたんだ。

「タカ坊ったら、このウィンナーが大好きで、わたしが横からつまんだら、泣き出しちゃったのよね」
「……いや、覚えてないけど……」

 恥かしいので、忘れたことにしておこう。

「この間、タカくんのお母さんと電話でちょっとお話したの。その時に、教えてもらったんだ」

 このみは嬉しそうにそう告げた。

「それにしても、なかなか可愛らしいお弁当ね。わたしも少し食べてみていい?」
「ああ。いいよな? このみ」
「もちろんだよ。みんなで食べようよ」

 俺は、ロケットウィンナーを摘み上げた。
 あはは……こんなおかしな形のウィンナーを、俺はロケットだと言って喜んでいたのか……
 しかも、なんて小さな弁当箱なんだろう。
 でも、俺はこんな小さな弁当でも食べきれずにいつも残していたんだよな……
 そうやって、忘れかけていたあの頃の思い出が、ひとつひとつ思い出されていく。

 
「そういえば、あのころの雄二のお弁当って卵料理ばっかりだったよな」
「ああ、それはね、あのころ雄二は卵が大嫌いだったの。だからあえて卵料理ばかり食べさせていたのよ」

 うわあ……逆療法……いや、スパルタか?

「た、たいへんだったね、ユウくん……」
「その代わり、わたしが頑張って料理を覚えて、雄二にも食べられるように美味しい卵料理作ってあげたんだから。おかげでいまでは卵嫌いも治ったんだし、感謝しなさいよ? 雄二」
「へいへい……あのころは毎日が地獄だったけどな……」


 みんなが箸をのばして、ちいさなお弁当箱はあっという間に空になってしまう。
 けれども、俺たちの楽しい思い出話は、お昼休みの時間が尽きるまで続くのだった。


 こんなふうに、このみのお弁当はいつも俺たちに「何か」を運んで来てくれる。
 平凡な俺の毎日を、いつも特別なものにしてくれる。
 でも、それがどんな「何か」なのかは、蓋を開けてみるまで分からない。
 さて、明日はなにを運んで来てくれるのか?
 楽しみなような、怖いような。
 それが、このみのお弁当。 

  

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   以上が『それがこのみのお弁当』です。
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