忘れられていた過去が、ある日突然掘り起こされる。
 そこから起きてしまう騒動……それも、はたからみれば喜劇だったりもするけれど。
 でも、そういう出来事が起こるきっかけって、大抵はしょうもないことだったりするんだよ。
 もうそんな騒動にもさすがに慣れたと思っていたけどな……

 俺はその日、愛佳の家で郁乃も交えて賭けポーカーに興じていた。
 そう、一応は賭け事だったんだよ。そこが問題だ。
  
『愛佳のあこがれウエディング』

「はい。これが姉の小さい頃のアルバム」

 郁乃が持ち出してきてくれたアルバムが、目の前に置かれている。
 剥がれかけた背表紙のビニールが歴史を感じさせるけど、外見は何の変哲もないただのアルバムだ。
 でも、もちろん俺にとってはただのアルバムではない。
 なにしろ自分の恋人の小さな頃の姿が沢山納められているのだ。
 さっそくページを開くと、アルバムにはまだ幼くも愛らしい愛佳の写真がいっぱい飾られている。

「おお〜〜これはすごい……」

 素敵な写真の数々に、俺は思わず感嘆の声を漏らした。
 幼稚園のお遊戯に、小学校の入学式。
 目に付いたいくつかの写真の中には、赤い着物姿の愛佳もいた。
 年齢などから察するに、七五三などの行事ではないだろうか? ちいさな着物姿がとても愛らしい。
 ファインダーを覗く誰かに向かって、ちょっとだけ照れたように微笑んでいる。

「愛佳、可愛いじゃないか」

 素直な感想を述べておく。

「あうぅぅ〜〜〜」

 部屋のすみっこで布団をかぶっていた愛佳から、情けない声で悲鳴が返ってきた。
 さっきからずっとあんな感じでいじけているのだ。
 なんだか可哀想なことをしている気もするが……
 でも愛佳の昔の写真を見ることが出来るのは素直に嬉しい。こんな機会も滅多に無いだろうしな。

「はあ……二人してなにのろけてるんだか……これじゃあ罰ゲームになってないでしょうが……」

 愛佳と俺の楽しいひと時に、うるさい声が割り込んできたなと思ったら……
 ああ、こいつもいたんだっけな。郁乃が。
 アルバムを持ってきてくれたから、お前はもういなくなってもいいんだぞ?
 だいたい恋人同士、二人きりのお部屋に遊びに来るなんてずうずうしいにも程がある。
 男女の機微も分からないお子様はこれだから困る。

「郁乃〜〜もう十分でしょ? これくらいで許してよ〜〜」

 愛佳がついに郁乃に泣きついた。
 妹の膝元にすがりついて離れようとしない。 
 知らない人が見たら、どっちが姉だかわからないな……

「そんなこと言っても、まだ負け分がいっぱい残ってるし……」
「え〜〜」
「だってしょうがないでしょ、お姉ちゃんがポーカーで五連敗しちゃうんだから……」

 姉には甘いところもある郁乃だが、今回は何故か愛佳に容赦ない。
 さっきのポーカーも随分勝ちにこだわっていたし……
 案外、郁乃はこういう勝負事には真剣に取り組むタイプなのかもしれない。

「貴明はどうしたいの? 勝ったのはあんたなんだし、さっさと決めて」
「そうだなあ……」

 もっといろいろ見せて頂きたいのは本音だが、あいにくと愛佳のアルバムはこれ一冊きりだそうだ。
 もう十分堪能したし、さすがにこの辺で許してあげようかと俺も思っていたのだけど……

「だいたい、勝負を言い出したのはお姉ちゃんじゃない……自分が勝ってたら、何をするつもりだったのよ……」
「……そういえば、愛佳は何のためにこんな勝負を持ち出したんだ?」
「え? えっと、あたしは……えへへ……」
「「……笑ってごまかすな!!」」

 へらへらと笑う愛佳に、俺と郁乃で揃ってツッコミを入れる。
 なにを企んでいたのかは知らないが、こちらが同情してやる余地はなさそうだ。
 郁乃も俺と同じようなことを感じたらしい。

「そうだ。姉が小学生の時に書いた、爆笑ものの作文があるんだけど、見たい?」
「ああ。ぜひ見せてもらおうか」
「あああ〜〜〜! 郁乃〜〜、お願い、あれだけは許して〜〜!!!」

 珍しく郁乃と俺との思惑が一致して、愛佳の悲哀は黙殺された。
 そして、これがその作文だ。


『わたしは、大人になったらお料理やお勉強をがんばって、すてきなおよめさんになりたいです。
 そしてけっこんしきでいちばん大きなウエディングケーキをおねがいして、おなかいっぱい食べたいです
                                      ――  一年二組 小牧 愛佳 ――』


 ……あのでかいケーキを、一人で全部食べる気なのか?
 郁乃と二人、ひとしきり笑い転げた後で(愛佳はひとしきりいじけ倒した後で)
 この作文をもう一度皆でじっくりと眺める。 


「で、これを読んで彼氏としてはどう思うわけ?」
「まあ……なんか愛佳らしいよな」
「も〜〜やめてよ〜郁乃、たかあきくん……」
 
 この作文のお題は”将来の夢”。
 誰しも一度は教師に書かされたことはあるだろう。下手をすると二度も三度も書いた経験を持つ人もいるかもしれないな。
 で、愛佳の選んだ将来の夢は”可愛いお嫁さん”か……
 その部分だけ見れば小学生の可愛い作文でしかないけど、この作文を見る限り当時の愛佳が心から望んだものは素敵な旦那様ではないようだ。

「でもね? 一生に一度でいいから、あんな大きなケーキに挑戦してみたいと思わない?」

 そう問いかける愛佳の言葉に、俺と郁乃は頭の中で”いちばんおおきなウエディングケーキ”を思い浮かべる。
 たとえば芸能人の結婚式なんかに出てきそうな大きな会場の天井まで届きそうなケーキを、食べたいと……
 ……食べたいと……
 
「思わないよなぁ……」
「思わないよねぇ……」

 郁乃と二人、冷たくもそう答えるしかなかった。
 そんな挑戦、想像しただけで胸焼けしそうだ。

 でも、天井まで届くようなおおきなケーキか……
 確かに披露宴のCMやTV番組にはそんな馬鹿でかいケーキが登場して、新郎新婦が二人で一緒に大きなナイフを入れるシーンがよく出てくるよな。
 で、司会者が『夫婦初めての共同作業です』なんて煽りを入れるんだよ。
 でも、俺の知る限りあのケーキは…… 

「あのケーキ、多分食べられないぞ」
「え?」
「多分愛佳がイメージしてるのは、入刀専用のケーキだと思うけど……あの巨大なケーキは大部分が形だけの代用品だから、ほとんど食べることは出来ないぞ」
「ええぇ〜〜!!!??? う、嘘でしょ〜〜??!!!」
「へぇ……そうなんだ……」

 俺がテレビか何かで見たはずのうろ覚え情報を披露すると、二人の女の子はそれぞれ驚いたような、あるいは感心したような反応を見せた。

「なるほど……冷静に考えてみれば、貴明の言う通りか。天井に届くまでの大きなケーキなんてとても食べきれないし。万が一倒れたりしたら大惨事だもんね」
「ええ〜〜ひどいよ……そんな世の中、絶対おかしいよ……」 

 納得したように何度も頷きながら呟く郁乃とは対象的に、愛佳はがっくりと落ち込んで……
 どうやら俺の発言は愛佳の大切な夢を打ち砕いてしまったらしい。
 今日は落ち込んでばかりの愛佳だが……さっきの言葉が一番効いたようだった。
 こりゃ、まずかったかなあ……






「うう……ケーキがぁ……知らなかったなあ……そうなんだ……くすん……」

 落ち込んで動かなくなってしまった愛佳を前に、自然と罰ゲームもお開きになってしまった。
 俺は愛佳を元気付けるつもりで、駅前まで一緒に出ようと誘って出かけたんだけど……
 隣を歩いているのは、俺の言葉に黙々と着き従う人形のような愛佳だった。
 どうやらケーキショックはまだ続いているようだ。
 
「でも、いくら愛佳でも、あんなに大きなケーキはとても食べきれないだろ?」
「いくら愛佳でもって……その言い方はひどいなあ……」
「いや、すまんすまん」 

 愛佳は溜息を一つついてから、俺に説明してくれた。

「分かってないなあ……あのね、あたしはただケーキを食べたいだけじゃないんだよ? 人生で一番幸せな日に、大好きなケーキをいっぱい食べさせて貰えるの。それって素敵な夢だと思わない? そんな乙女心って分からないのかなあ……」

 ……それは乙女心じゃなくて愛佳心だと思う。
 そんな素敵な夢を持っている女の子はきっと愛佳だけだ。
 普通の女の子はそんなこと考えないぞ。

「正直言って、さっぱりわからん」 
「え〜〜。女の子のロマンなんだよ。たかあきくんには分かりませんよ〜〜」
 
 ふむ……女の子のロマンねえ……
 俺はそのロマンとやらを自分なりに想像してみる。頭の中に思い浮かんだのは……
 白いウエディングドレスを、同じく白い生クリームでべとべとに汚しながらも、巨大なケーキに向かって挑みかかって行く愛佳の勇姿……
 そんな姿を、結構リアルに思い浮かべることが出来てしまった。
 それを敢えてロマンという言葉に繋げるなら……どんな強大な敵を前にしても、決して怯まず立ち向かって行く男のロマンにやや近い。

「まあ、ロマン……かもしれないよな……」
「そうそう。そうなんだよ〜〜」
 
 俺の心中を察することもなく、愛佳はそう頷くと、溜息をまたひとつ。
 なんだか一日中落ち込んでるみたいで可哀想だな……

 そこでふと思いついたことがあった。

「なあ、愛佳……でっかいウェディングケーキ、今でも食べたいか?」
「え?」

 俺の問いかけに、愛佳はちょっと迷ってから……

「べ、別に、ただの小さい頃の夢だから……」

 一応、否定した。

「……ホントに? いらないの?」
「う、うん……」
「……正直に?」
「あ……あうう……」

 羞恥心と本音。
 愛佳の間で少しの葛藤があったようだが……

「や、やっぱり食べたいかなぁ……」

 最後には本音が勝ったらしい。 

「じゃあ、俺が用意するよ、いつか愛佳に、巨大ウエディングケーキを食べさせてあげる」
「そ、それ、ほんと? たかあきくん!」
「あ、ああ……探せばきっと作ってくれる所もあると思うんだ。もちろんすぐにというわけにはいかないけどさ。きっとお金だってかかるだろうし」
「でも……そんなこと……本当にいいの?」
「ああ、俺と愛佳がずっと仲良くしていられたらさ、いつかそういう機会もあると思うんだ。その時には、特別に職人さんに頑張ってもらって、できるだけ大きなケーキを作って貰うからさ」
「でも……いいのかなあ……おおきなケーキ……えへへ……やっぱ、苺かな……」

 口では遠慮しながらも、もう種類まで決めているらしい。
 へらへらとだらしない顔になっている愛佳を見て、ようやく機嫌が直ったのだなとほっとする。
 ……それにしてもウエディングケーキだぞ?
 ちょっとは特別な意味も込めた言葉のつもりだったんだけどな……
 冗談だと思われたのか?

「たかあきくん、チョコケーキでもいい?」
「あ、ああ……別にいいけど……」
「あっ。やっぱり、カスタードのほうがいいかなあ……?」
「………………」

 本気には、してるみたいだよな。
 特大ケーキに比べたら俺の思いなんてどうでもいいことなんだろうか……?
 まあ、いいか。愛佳はとても喜んでいるみたいだしな。
 あんまり重い意味に取られてもあれだし……
 これはこれで良しとしよう。


 そんな形で機嫌を良くした愛佳と別れて、その場はそれで片付いた。
 いや、それで片付くはずだった。
 問題はその後起こったらしい。
 俺はその場には居なかったけど…………


―――――――――――――――――――

 家に戻ってきた姉をみて、郁乃は不審なものを見たと思った。
 一人で戻ってきた姉が山ほどケーキの本を抱えてにやにやと笑っているのだ。
 ショックを通り越して、ついに頭が狂ったのかと思った。

「どうしたの、お姉ちゃん? そんなに一杯ケーキの本を買い込んで……」

 他にも不思議に思う所は多かったが、まず分かり易い所から聞いてみた。 

「帰りに買ってきたの。いつになるかは分からないっていっても、ケーキの種類だけは早いうちに決めちゃおうって思って。あ、郁乃だったらどんなケーキが好き? お姉ちゃんと一緒に選ばない?」
「……はあ?」

 浮かれきって自分勝手に喋る姉から、苦労して事情を聞き出し、郁乃はやっと状況を理解した。
 そして、『あの優柔不断な男にしては、思い切ったことを言ったなあ』と、そう思った。

「でも、あの男で本当にいいわけ? どこまで本気か知らないけど、いくらなんでも大事な人生を今決めるなんて早すぎじゃないの?」
「人生? 何のこと?」
「だって、”俺がウエディングケーキを用意する”って、言ってみればプロポーズみたいなものでしょ? どこまで本気か知らないけどね」
「………………」
「どうしたの? お姉ちゃん?」
「………………」
「も、もしかして、その意味に気が付かなかった?」
「………………」

 郁乃は”余計なこと言わなきゃよかったな”と、本能的に思った。
 ややあって…………



「えええええ〜〜〜〜〜〜????!!!!!!」

 その日、一番の悲鳴が愛佳宅に響き渡った……

                   ―――――――――――――――――――――――――

 次の日、愛佳は学校に来なかった。
 廊下で偶然に郁乃を捕まえた俺は、愛佳が休んだ事情を問いただした。

「姉だったら、熱出して寝込んでるわよ……」

 いかにも面倒臭そうに郁乃はそう答えた。

「ええっ?! なんでだ? 昨日はあんなに元気だったのに……」
「なんか、いろいろ悩んでたら熱が出てきたみたい……」 
「はあ? どういうことだ?」
「……説明したくない。っていうか、もうあんまり関わりたくないし……ああ、あんなこと言わなきゃよかった……」

 なんだそりゃ……いったいなにがあったのだろう。
 と、俺の目の前で郁乃は大きなあくびをひとつ。
 それを呆然として見守る俺に気づくと『なによ』って感じで睨み付けてきた。
 
「なんか……お前も随分疲れた顔してるな……」
「本当に疲れてるわよ……昨日は一晩中姉のノロケだか悩みだかわかんない話に付き合わされて……あたしも休みたかったぐらいだけど、姉と家にいる方が疲れるし……」
「……とにかく、愛佳に会わせて欲しい」
「……あんたが来ると、また姉の熱が上がりそうなんだけど……ああ、でもあんたが来ないとまた落ち込みそうだし……」

 そう言って少し悩んだ様子を見せたあと、『ああもう……』と唸って頭を振った。

「わかった……じゃあ放課後に待ち合わせね?」
「あ、ああ……」

 郁乃は、なにやら疲れ切ったような溜息を付くと、そのまま振り返ることもなく去って行った。
 その背中があらゆる言葉を拒否していて、それ以上この件に関して聞くことが出来なかった。
 いったい昨日愛佳と別れてからの時間に、何が起こったのであろうか?
 なにも事情を知らない俺はただ不思議に首を捻るばかりだった。
 とりあえず今の俺が一番悩んでいることは……

「お見舞いは、苺のケーキでいいのかな……?」


              上に

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