エルルゥの晩御飯
   
 私の名はハクオロ。
 建国間もないこのトゥスクルの国で聖上の役目に就いている。

 語りたいのは、私の大切な家族のことだ。
 辺境の村で私の命を助けてくれた娘――名をエルルゥという。
 今では私にとってかけがえのない大切な家族だが、この宮に住む皆にとっての彼女を一言で表すなら……大変な働き者だということに尽きる。
 辺境で供に暮らしていた時からもそうであったが、私がこの国の聖上となり、エルルゥがその施政を支える皇女となってからは、本当によく働いて私を助けてくれている。

 薬師として、傷付いた者たちを癒し、病から救うのが彼女の一番重要な役目だ。
 だが私を含め、ベナウィやオボロ、その他政務に関わる主だった者たちの食事の用意もエルルゥが引き受けてくれている。
 特にクロウやカルラのような大食漢の胃袋を満たす程の食事を用意することは、かなりの重労働であろう。
 だが、文句ひとつ言わず、明るい笑顔で働いてくれている。
 そんな彼女には本当に頭が上がらない。

 辺境の女は、誰もが皆働き者である。
 そうでなければ生きていけないのだ……いつかオヤジさんもそう言っていたな。
 


 しかしだ。
 非常に恐ろしいことだが、全く逆の考えも出来る。
 エルルゥの働きで我々が生活できているならば、我々を生かすも殺すもエルルゥ次第だということだ。
 無粋に外で働くだけの男どもとは違い、家庭で働く女性は生活の全てを支配できる女神であるということを、男はつねに覚えておかなくてはならない。
 もしそれを忘れれば……私と同じような目に遭うだろう。




 その日、わたしは兵舎や宮廷内のさまざまな部署を、供も連れずに訪問して回っていた。
 つまるところは、ただの散歩のようなものではあるのだが、これもベナウィから頼まれた政務の一つだ。

「まずは、兵も含めた皆さんに聖上のお顔を覚えて貰わなければいけません。未だにこの国では前皇のインカラ皇の印象が強いですし」
「まあ、国が変わったばかりだからな……」

 信じられないことではあるが、私の顔も声も未だに知らない者のほうが多いのだ。
 仮面を付ければ、誰でも容易に私に変装できる……というのは、戦場では命取りになる可能性がある。
 だからこうしていろんな場所に顔を出し、少しでも私のことをみんなに憶えてもらおうというわけだ。 

「とはいえ、どうも気が引けるな……」

 私が皇だと名乗ると、それだけで誰もがもてなしてくれる。
 なんだか権威をひけらかしているようで気が引けるが……

「この国を平和に治めるためには、こういうことにも慣れていかなくてはならないのだろうな……」

 そんなことを考えながら歩いていると、背中から私を呼び止める者がいた。

「探していましたよ? わたしのご主人様……」
「ん……?」

 振り向くと、そこには最近傭兵になったばかりのカルラが立っていた。
 何故かいつもの着ている奴隷時代の服ではない。まるで皇女が着るような美しい装束に身を包んでいる。
 それでいて、奴隷の首輪がそのまま首を飾っているというその姿はある意味……
 い、いや、それはともかくとしてだ。

「や、やあ。カルラ。何か私に用事があったのか?」
「用事……ですか? もちろんアレに決まってますわよ?」
「あ、あれ……とは何だ?」
「うふふ……分かってるくせに……」
「むむ……」

 彼女の不可解な物言いと怪しい雰囲気に、危険なものを感じ取る。
 戦場ではこの上なく頼れる仲間ではあるが、いろんな意味で油断出来ない女性でもある。
 一番被害を受けているのはトウカだが、私も何度か痛い目に遭わされている。

「先日、聖上には大変お世話になりました……まだ、あの時のお礼を十分にしていませんでしたから……」
「い、いや、弟を助けたことならもういいだろう。カルラは傭兵として十分すぎるほど働いてくれている。別に今更礼など……」
「まあ、聖上様。女に恥をかかせるのですか? この爪、この髪の毛一本まで……全てを貴方に捧げると、お約束したはずですわ」
「そ、それは傭兵として働くという意味で……」
「でも、わたしは女ですのよ」

 カルラそう言って両肩を引っ掴むと、私を力任せに床に引き倒した。

「ぐうっ?!」
「ほら、こんなにも非力な女性ですのよ?」

 大の男を子供扱いして、どこが非力だ……

「は、離してくれ……」
「そう言わずに、もう少し遊んでくださいな。最近戦も無くて本当に退屈で……いろいろと溜まってますのよ?」
 
 た、溜まってるって……女性が使っていい言葉ではないぞ…… 
 とはいえ、やっぱりいつもの悪戯のようだ。
 私に迫っているようではあっても、彼女がどこまで本気なのかはよくわからない。

「どうぞ……この身体、どのようになさってもかまいませんわ……あなたなら……」
「よ、よせ……やめんか!」

 カルラが、その身体ごと私に覆いかぶさってくる。
 見事に成熟した肢体が、服の上からでも感じられてしまう。
 いつも酒や料理を遠慮なく食べまくっているくせに、少しの贅肉もない引き締まった肉体だった。
 ギリヤギナの一族は、どんなことがあっても体形を変えられないという性質を持っている。
 『どんなに食べても絶対に体形が崩れない』という話を聞いて、何故だか知らないがエルルゥが大変なショックを受けていたことを、不意に思い出した。
 そうだ、エルルゥだ! もしこんなところをエルルゥに見られたら!?

「ハクオロさん! どうしたんですか……ああっ!!!????」
「え、エルルゥ?! な、何故ここに……?」
「な、なぜってなんですか!? わたしがここに来たらいけないんですかっ!!?」
「い、いや……そういう意味ではないが……」
「ハクオロさんこそ……カルラさんと一体何をしているんですか?!」

 私の悲鳴を聞きつけたのだろうか。
 慌てて駆けつけて来たエルルゥは、私とカルラが絡み合う姿を目にして、状況を勘違いしているようだ。

「こ、これはだな……」
「いいこと、してるんですのよ? エルルゥ様」

 誤解を解こうとしていた私の言葉を遮って、カルラがとんでもないことを言い出した。

「いいこと……とは、なんでしょうか? カルラさん?」
「いいことは、いいことですわよ? 知らないんですか? い・い・こ・と」
「…………」
「うふふふ……どうしました? エルルゥ様?」
「む〜〜〜〜」

 一言ごとに二人の間に流れる空気がだんだん冷たくなっていくように感じられる。
 気のせいではないよな……
 エルルゥの耳と尻尾が、その怒りを表すようにぴんぴんと逆立っているし。

「で、ハクオロさんの右手はいったいどこを触っているんですか?」

 気が付くと、何故か彼女の冷たい視線が今はカルラではなく私の向いていた。
 ん……右手? 私の右手がどうしたのだ……?
 右手を軽く動かしてみると、何故かとても柔らかな感触が……

「あら……聖上様、意外と大胆ですのね。エルルゥが見てますのに……」
「う、うおおぉ?!」

 い、いつの間にか私の右手がカルラの胸に……わ、私はなんということを……

「実は、ハクオロさんはお乳が大好きなんですよ?」
「………………」
「それも大きければ、大きいほどいいそうですよ? 知ってました? エルルゥ様?」
「大きければいい、ですか……」

 だ、誰がそんなことを言ったか!!
 勘弁してくれ……
 
「そうですか……カルラさん、おかげで大変勉強になりました。ハクオロさんの大好きなものも分かりましたし……」

 エルルゥは、なにかに納得したかのように何度も頷く。
 何か、巨大な勘違いをされているようだ。

「それでは、私は夕食の支度がありますので、これで失礼いたします」

 そう言って、馬鹿丁寧にお辞儀をすると、エルルゥは平然とした表情で去っていった。
 と、突然振り向くと……
 
「……ハクオロさん、今夜はハクオロさんの大好きな料理を、沢山作って差し上げますからね?」
「あ、ああ……」

 不吉な言葉を残して、今度こそ去って行った。
  


 そしてその晩の夕食となった。

「む、むむ……こ、これは……」

 私の食卓にだけ、とてつもなく巨大な鍋が置かれている……
 一体この宮の何処にこんな大きな釜があったのだろう?

「エ、エルルゥ。一体これは何なのだ?」
「何って……ネウの乳で作った乳粥ですが」
「た、確かにこれは乳粥のようだが……」

 だが、普通の乳粥ではない。
 風呂桶のように巨大な大釜に、なみなみと乳粥が満たされている。 

「どうですか? お乳が大好きなハクオロさんのために、出来る限りたくさん用意したんですよ? いっぱい食べてくださいね」

 あ、あのなあ……
 それはどういう意味なのだ?
 
「いや……しかし、いくらなんでもこんなに多くは食べられないのだが……」

 そう嘆く私の言葉に、エルルゥは満足そうに頷いた

「そう……そうですよね? ハクオロさん。なんでも大きければ……いえ、多ければいいというものではないのです。あんまり多すぎてもきっと身体に良くないんですよ?」
「………………」

 それは……何かの含みがあっての言葉なのだろうか?
 ふと気になって、いつも食卓の端で優雅に酒を嗜んでいるカルラの方に目を向ける。
 その視線に気づいているのかいないのか……いつもとカルラは同じ涼しい顔で酒盃をあおっていた。
 まったく……誰のせいでこんなことになったと思っているのだ?

「ハクオロさん。いくらお乳が好きだからって、あんまり欲張ってばかりではいけないんです。分かりましたか?」
「は、はい……よくわかりました……」

 エルルゥの言葉に、私はただひたすら頷くばかりであった。
 一体なんの話なんだかよく分からないが、とにかくそう答えるより他無かったのだ。


 ……で、このでかい乳粥鍋は私が食べるのか?
 食べるしかないんだろうな……
 はあ……




 そうしてなんとか私はその日を生き延びることが出来た。しかしそれだけで事は終わらなかったのだ。
 その日の夜、乳粥で張った腹をさすりながら、政務の後片付けをしていたところだ。
 不意にがやがやと兵達が騒ぎだした。
 何事かと思って聞き耳を立てていると、どたばたと騒がしい足音を立てながら私の執務室にトウカが訪れた。

「聖上様! 恐れながら申し上げます!」
「なんだ? さっきから外が随分と騒々しいが、そのことか?」
「はい。先ほど、領内に賊が侵入したとの報告がありました! 聖上様を狙っての、襲撃の恐れがございます!」
「ふむ……そうか」
「よって恐れながら、これより賊が捕まるまでは、それがしが一歩たりともお側を離れず、聖上様をお守り申し上げます!!」
「な、なに?!……それは困る……」

 わ、私の側を離れないだと……?
 あれ以来、若い女性と一緒になるような状況は、なるべく避けるようにしているというのに……
 またエルルゥを怒らせるようなことになれば、今度こそ私の命が危うい。

「護衛を申し出てくれるのはありがたいが……なにもそこまで私に張り付かなくてもいいだろう」
「いえ! 厠だろうが風呂場だろうが、襲撃者は場所を選んではくれないのです! 油断してはなりません!!」
「それはそうなのだが……」

 だからといって厠で用を足している所を護衛などされては、たまったものではない。
 だれか……この強情な護衛から、私を護衛してくれないものだろうか?
 トウカに立ち向かえそうなのはカルラだけだが……彼女を呼んでも事態は全く好転しないだろう。
 それどころか余計に問題が増えそうだ。

「大丈夫です!! エルルゥ様には誤解されないように、ちゃんと配慮させて頂きます!!」
「仕方ない……お手柔らかに頼むぞ……」
「ありがとうございます! 必ずや、命に代えても聖上を守り通してみせます!!」

 トウカのあまりの覚悟の強さに、逆に不安な気持ちが増していくのは……気のせいではないのだろうな…… 
 こうなったら、エルルゥに見つかるのが早いか、それとも賊が捕まるのが早いか。
 そこに私の命が掛かってくるだろう……





 私の期待に反して何時まで経っても賊が捕まることは無く、やがて日は沈んで私が入浴する時間になった。
 やっぱりトウカは風呂場まで私に付いて来た。
 しかも着物をしっかりと着込んだままで……

「このような格好でいれば、変な関係だと疑われることは全くありません!」
「それはそうかもしれないが……」

 別の意味で変に思われることだろうな。
 それに、その格好で風呂に入るのは随分暑そうだ。

「しかも、なんだかいつもよりも厚着しているように見えるのだが……」
「ええ! 絶対にふしだらな関係だと勘違いされないように、しっかりと着込んできました!」
「……それはいくらなんでもやりすぎだろう」
「いえ、失礼ながら最近のエルルゥ様を見ているとここまでする必要があるのではないかと……」
「そ、そうかもしれんが……」

 確かに最近のエルルゥの疑り深さは尋常ではない。
 それにしたってこれはやりすぎに思えるのだが……
 今のトウカにはいつもの颯爽としたところは全く見られない。
 まるで不恰好な雪だるまのようだ。

「しかしそんな格好でどうやって護衛を務めるのだ……?」

 見れば、トウカは剣すら持っていない。
 もっともこの雪だるまみたいな格好では剣も振り回すことは出来ないだろうが……

「大丈夫です! 戦いの時には、この体形を利用してごろごろ転がって敵に体当たりいたします!!」
「……出来るのか?」
「ええ、エヴェンクルガに伝わる秘伝の技の一つです!」

 本当だろうか……?
 私の脳裏に、ぶくぶくに着膨れしたトウカがまるで樽のようにごろごろ転がって敵を蹴散らしていく姿が浮かんできた……
 ふむ……そんな技なら一度見てみたいものだ。
 ……じゃなくて。
 
「本当に、それでいいのだな?」
「ええ、覚悟は出来ております!!」

 是非もない……どうやら説得は不可能のようだ。
 私は諦めて、トウカを連れて脱衣場へと向かった。




 だが、当然のことながら風呂場は非常に暑い。
 その上でここまで厚着しているのだから、さすがにトウカもへばっている様子だった。
  
「トウカ、もう十分だ。部屋に戻って休んでいろ」
「い、いえ……どうか某のことはおかまいなく……たとえこれで命を落とそうとも、聖上のために最後まで戦ったのなら、エヴェンクルガの戦士として悔いはありません……」
「お前はそれで悔いが残らないかもしれないが……」

 私には、きっといろいろな問題が残るであろう。
 こんな形で部下を死なせる国王など、三代先まで笑い者にされてしまう……

 実際、このまま放置しておけば、その最悪の想像が現実となるのも時間の問題だと思える。
 トウカは滝のような汗を流し、半ば意識を朦朧とさせながらも健気にも私の護衛に就こうと懸命だった。
 油断なく周囲に目を配り、気持ちだけなら感心してもいいほどの護衛ぶりではある。
 だが冷静な目で見れば、虚ろな瞳で周囲を睨み付け、時折ふらついてごろごろ転がる雪だるまでしかない。
 護衛としては頼りないし、既にその目がちゃんと物を見ているかどうかは大変怪しい。 
 いざとなったら私が護衛することになりそうだ。
 と、そう考えていたその刹那。

「賊だぁっっ!!!! 賊がいたぞっぉ!!!!!

 見張りの叫び声が響くや否や、浴室の天窓を突き破って、三人の刺客が飛び降りてきた。
 浴槽の水を跳ね飛ばし、一瞬で私の喉元まで迫って来る。
 まずい……! や、やられるのか!!!

「聖上っ!! 伏せてください!! ぬおおおおおおおっ!!!!!」

 さっきまで死に掛けていたとは思えない、トウカの凄烈な叫び声が浴室に響き渡った。
 トウカは叫び声を上げながら、すごい勢いで床をごろごろ転がっていき、三人の刺客を纏めて弾き飛ばしてしまった。
 ……す、すごい……本当にやってみせるとは……
 ただの雪だるまではなかったか…… 

「トウカ!! すごいじゃないか!! 正直、見直したぞ!!!」

 夢中でトウカに声を掛ける私だが、返事が無い。
 よく見ると、トウカは白目を剥いて気を失っているようだ。見事な技であったが、最後の力を使い果たしてしまったらしい。

「トウカ! おい、しっかりしろ!!」

 む……? い、息が止まっている??!!!
 ま、まずいぞ……最悪の想像が、現実に近づいているのか?
 とにかく、この暑苦しい服を脱がさなければ、トウカはこのまま干上がって死ぬかもしれない。
 私は大急ぎで服を脱がし始めたが……

「い、一体何枚着こんでいるのだ……?」

 剥いでも剥いでも新しい着物が下から表われてくるのだ。
 こんなことに時間を食っていると、本当にトウカの命が危ない……
 焦った私は、刺客が持っていた刃物を奪い取ってトウカの着物を切り裂いた。
 隙間を広げて引っ張りだすと、やっとのことで雪だるまの中から裸のトウカを引きずり出すことが出来た。
 ふう……なんとか助けられたか…… 
 と、

「ハクオロさん!! こっちに賊が来たって……ああっ??!!」

 もはや狙っていたとしか思えない間で浴室に駆け込んで来たのは……やはりエルルゥだった。
 ……何故、全部脱がした後で現れるのだ!??!
 どうせなら、もっと早く来てくれ……

「ハ、ハクオロさん。これは一体どういうことなんですか? 裸のトウカさんと一体何してたんですかっ?!」
「い、いや、これは……」

 急いで誤解を解かなければ、ならないことは分かっている。
 だが、現実の方があまりにもばかばかしい出来事なので、とっさに言葉が浮かばない。
 その間にもエルルゥはさすがに薬師らしく、素早くトウカに近づいて様子を確認している。
 
「トウカさん、すごい汗じゃないですか! 一体何があったんですか?」
「い、いや……以前汗を沢山かくと健康にいいと聞いたからね……」

 とっさに、変ないい訳をしてしまう。

「健康って……トウカさん、白目で倒れちゃってるじゃないですか。そんなになるまでやっていたんですか?」
「い、いや……まあ、ちょっと思うところがあって……」
「裸のトウカさんをこんなことに付き合わせるなんて……ハクオロさん、そんな命令をトウカさんにしたんですか?!」
「別に命令したわけでは……」
「む〜〜〜。怪しいです!!」
「………………」

 やっぱり、私の説明には無茶があるな……エルルゥは納得してはくれないようだ。
 当然といえば当然だが、一体どこから説明すれば、本当の状況を理解して貰えるのであろうか?

「それより……ハクオロさんは、いつまでここにいるおつもりなんですか?」
「ん?」

 エルルゥは顔を赤く染めて、困ったように顔を伏せている。
 そ、そうか……私は裸のままだった……

「……もう! 早く出てってください!!」 

 私は慌てて裸で浴室を飛び出した。
 それにしても、トウカよ……お前は私の命を守ってくれたが、新たな命の危機も運んできてくれたようだぞ……
 とりあえず、今日の晩御飯は……無事に済むのだろうか?



 その晩、予想したとおり私の食卓にだけエルルゥの作った特別料理が用意されていた。
 大き目の皿にはしっかりと蓋がかぶせられていて、このままでは料理の内容は分からない。
 だが、昨日のような巨大な鍋ではないことに、私は僅かな安堵を感じていた。
 たとえどんな料理であっても、量がそれほど多くないならなんとか我慢して食べることは出来るはずだ。
 その時は、そう考えていたのだが……

「そ、そういえば、トウカはどうしているのだろうな。ここにも姿が見えないが……」

 いつまで経っても蓋を取ろうとしないエルルゥを、促すつもりで聞いてみた。

「トウカさんなら、随分疲れが溜まっていたようなので、よく眠れるように処置しておきました。しばらくは起きて来ませんよ?」

 エルルゥは、涼しい顔でそう答えた。

「そ、そうか、それならば安心だ……」

 あ、安心……なのだろうか?
 ひょっとして、永遠に起きて来ない……などということは無いだろうな……?

「で、では、そろそろエルルゥの料理を頂こうかな……?」

 正直、さっきからずっと料理の中身が気になっているのだ。
 その蓋の中に隠された料理は、一体どんな代物なのだ?

「でも、ハクオロさん……本当にこの料理を食べたいんですか?」

 だが、エルルゥはにっこり微笑みながら、突然そんなことを言い出した。
 そのいつも通りの穏やかな笑顔からは、特別な真意を読み取ることは出来なかった。

「な、何を言い出すんだ……? エルルゥが一生懸命に作ってくれた料理を、食べたく無い訳が無いじゃないか……」
「そうですか。それを聞いて安心しました……ちょっと作りすぎちゃって、食べて貰えるか心配だったので……」

 む……? 作りすぎだと? この皿ならば、普通の料理に見えるのだが……
 どういうことだろうか?

「では、そろそろ食べて頂きましょうか……それっ!!!」
「おおっ??!!」

 エルルゥが蓋を開けると、その皿から勢い良く炎が燃え上がった……かのように見えた。

「こ、これは……?」

 さっきは炎のように見えたのだが……この紅い何かが特別料理なのか……?
 なにやら得体の知れない紅い塊が、熱い湯気に煽られてまるで燃え上がる炎のごとく悠然と揺れていた。
 こ、これは本当に食べ物なのか?
 どう見ても人間が口に出来る物ではないようだが……

「この紅いのは、一体なんなのだ?」
「行商人のおじさんから、珍しい野菜を頂いたんです。この国で、一番辛い野菜だそうですよ?」
「よ、よくそんな物が手に入ったな……」
「ええ、大変貴重なものですが、わたしがハクオロさんのために死に物狂いで手に入れてきました」
「…………」
「これを食べて、たっぷりと汗を流して健康になってくださいね?」
「は、ははは……」

 死に物狂いという物騒な言葉に、なんとなく不吉なものを感じるが……
 しかし、そんなことよりも問題なのは、この野菜の正体だ。
 私も皇になってからというもの、この国の生産物に関してはいろいろと勉強している。
 国の特産物を把握しておくことは、施政を実行する上で大変重要なことだからだ。
 無論、野菜についても隅々まで調べておいたつもりだったのだが……
 しかし、このような野菜はこれまで見たことも聞いたことも無かった。
 それほどまでに珍しい野菜をエルルゥはわざわざ手に入れてきたわけだ。
 これは、相当に辛いのでは……? 

「ほんの一欠けらで、死に掛けたウマが千里を駆けるそうですよ?」

 エルルゥが分かりやすい例えでその辛さを説明してくれた。
 ほ、ほんの一欠けらでウマが千里を……
 この皿にはそれが山盛りに盛ってあるように見えるのだが。
 この山を全部食べたら、私はどれくらい走ることが出来るのだろう。
 それにしてもなんという禍々しい紅さだ……立ち上る湯気まで紅く染まっているではないか……
 むおっ?! ゆ、湯気が目に染みるっ??!

「まあ、ハクオロさん。嬉しくて泣いているのですか?」
「あ、あははははは……」

 私に出来ることは、ただ力無く笑うことだけだった。
 ……他に何をすれば良かったというのだろうか? 

「さあ、早速頂いてください。……それともお気に召さないですか? ハクオロさん、トウカさんがあんなになるまで汗を流したがっていましたから、てっきり喜んで頂けると思ったのに……」
「あ、ああ。もちろん嬉しいよ。ありがたく頂こう……」

 笑顔でそう言われては、断ることなど出来ない。
 もはや、食べる以外にこの場を切り抜ける方法は無いのだ。
 私は、勇気を振り絞って、その紅い何かに箸を伸ばした……

「っぐう!!!???!!!」

 こ、こ、こ、これは……し、舌が、喉が、頭が……全てが焼けそうだ……

「まあ、ハクオロさん、すごい汗ですよ? さっそく効果が現れましたか?」
「あ、ああ……すごい効果だよ……」

 確かに私の全身からは、すごい汗が染み出してた。
 しかし、それは全部冷や汗である。
 私の身体が、この野菜の摂取に対して明らかな生命の危機を訴えているのだ。
 この野菜は危険だ……場合によっては人の命を奪いかねない。
 早速、皇としてこの国での製造を禁ずるように手配しておこう。
 もっとも、私がそれまで生きていられればの話だが。

「ハクオロさん、料理のお味はいかがですか?」
「あ、味か……味は……すごいな。とにかく、すごい」
「まあ、そうですか? それはとても良かったです」

 そんなことを言いながら微笑むエルルゥは、なんだかとても楽しそうだ。
 その微笑が怖すぎる。
 と、とにかく、早く食べ終えてしまうしかない。
 ただひとつの救いは、やはりそれほど量は多くないことだけだ。
 水をがぶ飲みして、なんとか紅い塊を喉の奥に飲み下していく……
 皿の上の禍々しい紅が、少しづつ減ってきた。これなら、なんとかいけるかもしれない。
 僅かに残った気力を振り絞って、重い箸を進める。
 残すところ、あとひとさじとなったその時……無常にもエルルゥの声が響いた。

「あ、煮汁も全部飲んでくださいね? それが一番身体にいいんだそうですよ?」

 ……皿の底には、燃えるように紅い煮汁が、まだたっぷりと残っていた。
 も、もう駄目だ……

「これからは、汗を流したいときはいつでもわたしに申し付けてくださいね。この料理を用意させて頂きますから」

 意識が遠くなっていく中で、エルルゥがそう呟くのが、聞こえたような気がする…… 




 結局、その料理を完食することは出来なかった。
 どうにかエルルゥにその場を許して貰った私は、重い身体を引きずりながら、自室へと向かっていた。
 足元もおぼつかない私に肩を貸す者は誰も居なかった。
 なんだか冷たいようでもあるが、これも仕方のないことだ。
 今のエルルゥは、たとえ私に近づく者がオボロであってもその関係を疑うだろう。

『や、やっぱりハクオロさんとオボロさんはそういう関係だったんですね?! 兄者とか呼んで、男同士でいつもべたべたしてて、怪しいと思ってました!!』
 とか。
 実は以前にもそれに近いことを言われたことがあったのだ。
 冗談ではない、何が好き好んで私がオボロと……
 いや、いかんいかん。別にオボロが悪いわけではないのだ……

 しかし……しかしだ。みんなあまりにも、私に冷たすぎるのではないのか?
 今日のことは仕方のないことではあるが、それでも見捨てられたような悲しい気持ちが湧き上がってくる。
 ふと疑問が浮かんだ。

「皆にとって、私は本当はどんな存在なのだろうか……」

 実は聖上などと祭り上げられているだけで、本当はみんな私のことが嫌いなんじゃないのか……?
 最近はなんだかエルルゥも私に冷たいし、ベナウィはにこやかに微笑みながら、私に山ほど仕事を押し付けるし……
 こんな仮面を付けた、得体の知れない成り上がり者のことなど本当は誰も……
 
「おと〜さん……」
「…………ん?」

 その時、不意に私を呼ぶか細い声が聞こえた。
 振り返ると、アルルゥが柱の影からこちらの様子を窺うようにモジモジとしている。

「じ〜〜〜」
「……どうしたんだい? アルルゥ」
「ん……」
「ほら、いいからおいで」
「ん」

 トテトテトテ……
 アルルゥは私に歩み寄ると小さな手に載せられた何かを差し出した。

「これ、食べる」
「ん? これはハチミツじゃないか?」
「おと〜さん、辛いものいっぱい食べたから」
「ひょっとして……私の為に、これを持ってきてくれたのか?」
「ん」

 アルルゥは少し照れたように頷いた。

「そうか……ありがとう……」

 なでりなでり。

「ん……はふ……」

 頭をそっとなでてやると、アルルゥは気持ちよさそうに私の膝にもたれ掛かった。
 思わずぎゅっと抱きしめてしまう。
 ああ……家族とは、とてもいいものだな……
 こんな私でも、愛してくれる娘がいるのか……

「ではアルルゥが持ってきてくれたハチミツ、早速頂こうか」
「うん」

 そのハチミツは、本当に身に染みるほど美味しかった。
 激辛料理で痛めつけられた私の身体に、甘いハチミツが染み渡る。
 生きてるって素晴らしい…… そんなことさえ感じてしまう。
 私は夢中でハチミツにかぶりついた。

「ああ……美味しかったよ、アルルゥ」
「ん」

 ハチミツを全て平らげた私を見て、アルルゥは満足げに頷いたが、ふと何かに気づいたようにその顔を私に近づけた。

「な、なんだい?」
「おと〜さん、口のところにハチミツがくっついてる」
「む、つい夢中でかぶりついてしまったからな……」

 気が付けば、口の周りがハチミツでべとべとになっているようだ。
 私が口元を拭うための拭き布を取り出すと、それを見たアルルゥは顔をしかめた。

「拭いちゃだめ。ハチミツ、もったいない。」
「そ、そうか……」

 アルルゥにとって、ハチミツは一滴たりとも無駄には出来ない大切な宝物なのだ。
 この布で拭って捨てることなど、絶対に許せないのだろう。
 さて……どうしたものか……
 いい知恵がないものかとしばし考えていると……

 ぺろり

「おおっ?!」

 なんと、アルルゥが私の頬を、いや、頬に付いたハチミツを舐めているではないか。

「ちょ、ちょっと、アルルゥ……」
「えへへ……ムックルみたい……」
「こ、こら、くすぐったいよ、あはは……」 

 私が慌てているのが、アルルゥには余計に楽しいらしい。
 すっかりはしゃいでしまったアルルゥは、いつまでも顔を舐めるのをやめようとしない。
 あはは……これは困ったな……

「あら? なにをしてるんですか? ハクオロさん」

 慌てて振り返ると、其処には穏やかな笑顔を浮かべたエルルゥが立っていた。
 な、なんでまたこんな時に……

「二人とも、今日はずいぶん仲良しなんですね」

 エルルゥは、なんだかとても楽しいことがあったかのように、にこにこと微笑んでいた。
 ものすごく楽しそうで、まるで怒っているようには見えない。
 そのことが、逆に怖い……
 しかも、よりによって妹との仲を誤解されるとは……これは危険すぎる。

「聞いてくれ、今度こそ、今度こそ本当に誤解なんだ。これはただハチミツを……」
「ええ、別にいい訳しなくてもいいですよ。ちゃんと分かってますから」
「………………」
「アルルゥと、仲良くしてくれたんですよね?」
「そ、そうだが……」

 も、もはやいい訳さえ聞いてくれないのだろうか……
 エルルゥは、そんな私を無視してアルルゥに問いかける。

「アルルゥ、ハクオロさんのこと好き?」
「ん、おとうさん大好き〜〜」

 ああ……トゥスクル様。天国から見ていらっしゃいますか?
 あなたの大切な孫娘のアルルゥは、とても素直でよい子に育っています。
 ちょっと素直すぎて困るくらいです。
 あ、ついでに。
 私ももうすぐそっちに行くかもしれないので、その時にはよろしくお願いします……

「うふふ……ですって? よかったですね、ハクオロさん?」
「は、はい……仰るとおりです……」
「じゃあ、用事がありますので、わたしは行きますね。あ、アルルゥ。あんまりハクオロさんに迷惑を掛けちゃだめよ?」
「ん〜」

 そう告げて去っていくエルルゥの背中を見守る私であった。
 彼女がこの場で暴れ出さなかっただけ良かったと思うべきなのか、
 それとも、もっと恐ろしい恐怖をゆっくりと準備しようということなのか。
 と、彼女は振り返り、

「今夜は、とってもいいものを見せて頂いたので……特別にすごいお料理を用意させて頂きますね? わたし、頑張って作りますから、期待していて下さいね?」



 ……ああ……今日の晩御飯、なんだろうな……






「さあ、今夜の料理もすごいんですよ。ハクオロさん」
「あ、ああ……いつもすまないな」
「当然のことです。なにしろ、聖上様のお食事ですから」
「………………」 

 聖上というのは、その国での最上位の者を表す呼び名のはずだ。
 その名をこれほど冷たい声で呼ぶことができるのは、世界広しといえどエルルゥだけだろう。

「う、うむ……で、これはまた変わった料理だね?」
「ええ、ずっと東の国に伝わる伝統の料理だそうですよ」

 私の食卓には、小さな椀がいくつも並べられていた。
 その椀の一つ一つに麺が浮かんでいる。

「このお料理には面白い風習があって……食べ終わるときには、必ずお椀の中身を残さず食べ終えてから、その蓋を閉じなければいけないんですよ?」
「ふむ、そうなのかい?」
「ええ、ですから、ハクオロさんもこの料理を食べるなら、きちんとその作法を守ってくださいね?」
「あ、ああ……分かったよ」

 少し不思議に思ったが、それ自体は、別にどうという問題でもない。

「はい。ではどうぞ召し上がってください。ハクオロさん」

 どうやら、エルルゥが給仕を務めてくれるつもりのようだ。
 私の席の隣にぴったりと張り付いている。

「い、頂きます……」
 
 エルルゥの笑顔が見守るその横で、私はその特別料理に箸を伸ばした。
 む……これは……

「美味しいですか? ハクオロさん」
「あ、ああ……美味しいよ」

 おかしい……この料理はとても美味しい……
 まったく異常なところなど無い。そのことが逆に異常に感じる。

「おかわりはいかがですか?」
「あ、ああ、頂こう」
「ハイ。では……それ、”じゃんじゃん”っと」
「ん? なんだい、それは?」
「えっと……そう言って盛る決まりなんです」
 
 給仕するエルルゥの手で、すぐに椀の中に新しい麺が注がれる。
 それを食べてもその次が……
     
「いや、もう十分だ……これ以上は食べられないよ、エルルゥ」
「あら、食べ終わるときは、全部食べ終えてから蓋を閉じてくださいね?」
「む……?」

 その後も、エルルゥは私が食べ終わったとみると、素早くその瞬間に中身を放り込む。
 その手並みの素早さは見事という他ない。
 いくら急いで蓋を閉じようとも、必ず先手を取られてしまう。
 食べても食べてもエルルゥが素早く麺を放り込むので、どうしても私は蓋を閉じることが出来なかった。
 見れば、宮の侍女達が、次々にお盆に沢山の椀を載せて運び込んで来るではないか。
 これでは、いくら食べてもきりが無い……
 だんだん、エルルゥのやろうとしていることが、分かってきた気がする。

「うふふ。まだまだおかわりは用意してありますから、いっぱい食べてくださいね?」

 相変わらずエルルゥは私の隣にぴったりと付き添って、私の食べる様子を伺っている。
 その様子は、何故か妙に楽しげだった。
 その傍らには、侍女たちが運んできたお椀が、山のように沢山並んでいた。
 この全てをエルルゥが一人で作り上げたのか……
 彼女は、このお椀を全て平らげるまでは、私を許してはくれないだろう。
 果たして、私は明日の日の目を見ることが出来るのだろうか……






 いつもなら、欠食児童どもがいつまでも食事を奪い合う光景が続くこの食堂だが、今日は皆早々と席を立ち、姿を消していく。
 誰もが、この状況から一刻も早く立ち去りたいのだろう。
 しかし、まだまだ食事を終えられない私だけは、ここを去ることは許されない。
 いつしか食堂には私とエルルゥだけが残された。

「やっと、二人きりになれましたね……」
「え? あ、ああ、そうだね……」
 
 ふとそう呟いたエルルゥは、とても機嫌が良さそうに見えた。
 おかしいな……やっぱりエルルゥはどう見ても怒っているようには見えない。
 相変わらずお椀に麺を注いではいるものの、私に急いで食べるようにと強制しているわけでもなかった。
 なにより、私に給仕してくれているその笑顔は、本当に楽しそうだ。
 ……もしかして、本当に怒っていないのだろうか?

「エルルゥ……その……楽しんでいるかい?」

 怒ってますか……と聞くのはやっぱり少し怖かったので、遠まわしに聞いてみた。

「え? そうですね……ハクオロさんとこうして二人でゆっくりとしていられるのもなんだか久しぶりだから……ちょっと嬉しいです」
「そ、そうなのか?」

 やっぱり、怒っているわけではないのか……?

「アルルゥも、喜んでいましたよ」
「え?」
「アルルゥが、『おと〜さんが構ってくれない』って、ここのところ機嫌が悪かったんです……でも、昨日は一緒に遊んでくれたって笑ってました」
「そうか……」

 そういえば……ここのところ、アルルゥとはずっと会っていなかった。
 政務にずっと掛かり切りだったからな……
 むむ……? では、やっぱりエルルゥは怒っていないのか?
 いや、しかしあの料理は……

「で、ではどうしてこんな料理を? 最近随分手の込んだ料理を作ってくれるのは何故だ?」
「なんだか、ハクオロさんに心配事があって悩んでたみたいですから……元気が出るように、いろんな料理を用意してみたんですけど……」
「………………」
 
 そ、それは……
 実はその料理そのものが私の心配事だったのだが……
 なんて、口が裂けても言えないな。

「いや……私の場合は心配事というか……なんだか、エルルゥが怒っているような気がして……」
「わたしが怒ってる……? えっと……そうですね……本当は、ちょっと怒っているのかもしれません……」
「え?」

 や、やっぱり怒っているのか?

「怒っているというか……心配なんです。ハクオロさん、最近は夜遅くまでお仕事で……ずっと無理をしているように思えるから……」
「む……?」
「今日だって、こんなことまでして引き止めないと、ハクオロさんはすぐ仕事に行っちゃうから。こうでもしないと、ハクオロさんと二人きりに……じゃなくて、今日ぐらいは、少し仕事から離れて一休みして欲しかったんです」

 今、なにか変なことを言いかけなかったか?
 まあ、それはいいとして……

「いや、仕事のことは、ベナウィがせっつくものだから……つい、な……」
「もう……ベナウィさんったら ……じゃあ、ベナウィさんには、薬師としてハクオロさんに休養が必要だって伝えておきますから……」
「そ、それは頼もしいな……」

 ……エルルゥが言えば、ベナウィも仕事を減らしてくれるかもしれないな。
 なんだか、ベナウィには気の毒な気もするが……
 だが、家族と過ごす時間は、私にとっても大切な時間だ。

「働きすぎだと、お体も心配ですから……たまにはこうしてくつろいでくださいね。わたしで良ければ、いつでもお付き合いしますから」
「……ありがとう、エルルゥ。心配を掛けたね」
「いえ……いいんです……」

 エルルゥは、少し照れたように俯いていたが……
 ふと顔を上げて微笑んだ。

「そうだ! ハクオロさんの造っていた新しいお酒が、いい感じに仕上がっているんです。一献、いかがですか?」
「いいね。ありがたく頂くよ。……そうだ、エルルゥも少しどうだい?」
「わ、わたしですか? でも、わたしはお酒はあんまり……」
「女性にも飲みやすい酒だと思う。是非飲んで感想が聞きたい」
「……ハイ。では、ちょっとだけ……」
 
 そんなわけで、食卓には仕上がったばかりの酒と、肴と、そしてエルルゥの作ってくれた今日の料理とが並ぶ。
 そして、ゆったりと酒を酌み交わしながら、私とエルルゥは夜明けまで供に時を過ごすのだった。
 それは久しぶりに私の家族と過ごせる、大切な時間であった。



 そんなわけで、トゥスクルの国は今日も平和である。
 ありがたいことだ。
 



 …………
 …………
 うむ……多分、平和であるはずなのだが……


 私が危険を感じたのは、まだ酒を飲み始めて半刻といったところのことだった。
 
「む〜〜〜。ハクオロさん……あなたはほんとのところ、いったい誰が好きなんですかぁ……?」
「い、いや……みんな家族のように大切だと思っているよ」
「む〜〜そんなの、答えになってないのれす……」
「………………」

 それほど酒に強くないエルルゥは、既にすっかり酔っ払ってしまっているようだ。
 ま、まずいな……調子に乗ってエルルゥに飲ませすぎたか?
 完全に目が据わっているな……

「カルラさんのことらって……大きければいいって……どういう意味れすか? わたしじゃ不満なんですか!」
「な、なんのことだ……それに、さっきは怒っていないと言ったではないか……」
「怒っていませんけろ……れも気になるんれす!!」
「………………」
「し、しかも、トウカさんと二人でお風呂になんて……二人でいい汗流していたんれすか?! ……何でわたしじゃないんれすか!」
「い、いや……あれは誤解で……」

 よ、酔っ払いすぎではないのか?
 エルルゥが何を言っているのか、だんだん分からなくなってきたぞ……

「しかも、ついにアルルゥにまで手を……ああ……ハクオロさんがいくらアレでも、あの娘にだけは手を出さないって信じてたのに……くすん。だいたい大きい方が好きなんじゃなかったんですか?! いくらわたしだって、アルルゥよりは……」
「い、いや……それも誤解で……」

 ………………
 やっぱり、少しも怒っていないわけではなかったようだな。
 しかし、こんなことまで考えていたとは……
 明日になったら、全部忘れてくれていることを祈るばかりだ……

「ちょっと! 聞いてるんですか? ハクオロさん!!」
「は、はいっ!」

 先ほどの言葉を訂正しよう。
 トゥスクルの国は今日も平和である。
 ……しかし、私にとっては明日も平和だとは限らないようだ。
 

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   以上が『エルルゥの晩御飯』です。読んで下さった方が居ましたら、ありがとうございます
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