タイトル   
「暑くなったねえ」
「ああ、まったくだ」

 たかあきと話しながら、暑い道路を歩く。
 ここ一週間ほどで、本当に暑くなった。
 夏服に衣替えした女の子たちが、手に手にアイスキャンディーを持ち歩いている。
 ハンバーガーショップの店先には、シェイク100円の特別セールの広告ポスターが貼られていた。

 もう、夏がすぐそこまでやって来ている。
 その夏という言葉が、あたしの胸をざわつかせる。
 去年まではこんなの見ても、なにも感じなかったのに。
 今年の夏はきっと特別な夏になる。そんな予感を今から感じてる。
 だって今年の夏は、たかあきが一緒だから。

 あたしは、この春に生まれて初めて本当の恋をして。初めてデートをして、初めてキスをして。
 そして、初めて一緒に海に行く約束をした。
 今日、あたしはたかあきと一緒に駅ビルのデパートまでやって来た。
 たかあきに、あたしの水着を選んでもらうために。




 五階にある水着売り場では、もう今年の新作水着のディスプレイが並んでいた。
 今年の流行色、なんて売り文句が宣伝POPに掲げられている。
 こういう言葉を見ると、あたしはいつも思ってた。
『まだ、夏も始まってないのに、どうして流行があんたに分かるのよ』
 そんな風に演出された夏って言葉も、そんな言葉に浮かれる女の子の気持ちも理解出来なかった。
 去年までは。

「ね、たかあき。この水着似合うかな?」

 ハンガーに掛かった状態の水着を身体の前に当てて、たかあきに見てもらう。

「うーん……いいんじゃないかな……?」
「なによ。煮え切らない返事ねえ……」

 水着売り場の居心地が悪いのか、さっきからたかあきの様子はどうも落ち着かない。
 まあ、あんまりここで元気になっても困るけどね……

「さっきからなんだか気持ちのこもってない言葉ばっかり」
「そう言われてもな……俺には水着の良し悪しなんてよくわからないし……」
「べつに、あんたにファッションセンスの相談する為に連れて来たわけじゃないんだから……」
「む…………」
「じゃあ、この水着は?」
「高すぎないか?」
「これなんか、どう?」
「由真、柄物は好きじゃないって言ってたよな……」
「あのねえ……今はたかあきの好みを聞いてるんだよ? 値段とか、あたしの好みとか気にしてたら、たかあきに来て貰った意味がないじゃない」
「そ、そうか?」
「とにかく、他の事はどうでもいいから、あんたが一番見て見たいって思う水着を選んでみてよ」
「他はどうでもいいのか……」
「そう。一枚ぐらい、気になってるの、あるでしょ?」
「えっと……じゃあ、さっきから気になってるのがあるんだけど……」

 なぜかたかあきの声は煮え切らない。

「なによ? はっきり言いなさいよ」
「あの……、あれなんかどうかな?」
「あ、あれって……」
 
 たかあきが指で指し示したのは、”今年の売れ筋No.1”なんてPOPの付いた水着だった。
 店内の一番先頭でディスプレイされてて、さっきから目立っていたので、あたしも覚えてる。
 青と白のストライプで、値段は少し高い。
 でも、問題はそんなことじゃない。
 ビキニなのだ。しかもちょっと過激な。

「あ、あんたねえ……いくらなんでも、こ、これは……もう、なに考えてんのよ……」

 あたしは、もう一度水着を確認した。
 ハイレグ……とまではいかないけれど、布は小さくて他の水着とは全然違う。
 これを着ているディスプレイの人形が可哀相に思えるくらい小さい。
 見ているだけで恥かしくなってしまう。
 ……この水着を一番着て欲しいわけ? あたしに?
 男って、ほんとにもう……

「やっぱ、ダメか?」
「だ、だって、いくらなんでも、こんなの……」
「さっき、俺が一番着て欲しい水着って言ったじゃないか」

 はっきりと言葉が出ないあたしに代わって、たかあきはやたら元気になった。
 ……そんなに着て欲しいのかな……
 やっぱり男の人って、女の子にビキニを着て欲しいと思うものなんだろうか?
 でも……どうしようかな……  
 こんなの自分が着るのかと思うと、それだけでどきどきする。
 
「どうかなさいましたか?」

 考えこんでいる様子に気付いたのか、水着売り場の販売店員が近づいて来た。
 明るい笑顔が印象的な、可愛らしいお姉さんだ。
 
「あら、この水着に興味があるんですか?」
「いえ……その……」
「ひょっとして、そちらの彼氏さんに、着て欲しいって言われたんですか?」
「な、なんで分かるんです?」
「えへへ……私、ここで毎日水着を売ってますから」

 なるほど。きっとあたしのような犠牲者にいっぱい出会ってきたのだろう。

「でも、きっとお似合いですよ? せっかくの機会ですし、一度着てみてはいかがですか?」
「で、でもぉ……」
「私も、もう少し若かったら着てみたいんですけどねえ……」
 
 お姉さんは、頬に手を当てて、ほう……と溜息を吐いた。
 まだまだ若いように見えるけど。あたしもこの年になるとこう思うのだろうか……

「今しか着れない水着っていうのも、あると思いますよ?」
「そうなんでしょうか……?」

 横目でたかあきをちらりと確認する。
 
「由真ならきっと似合うと思うぞ」
「こんな時に誉められても、本気に見えないし」
「いや、本当にそう思うよ。絶対」
「ん……じゃあ、一応着るだけ着てみるけど……」   

 結局押し切られてしまう。
 ああ……もう。ほんとにスケベなんだから……

「では、あたしは失礼しますね。後は二人きりでごゆっくりどうぞっ」

 お姉さんは、『ああ忙しい、忙しい』と、わざとらしいセリフを残して去って行った。




 例の水着を持って試着室に入る。まずはどんな水着なのかをしっかり確認しよう。
 なにしろビキニを着た経験が、あたしには無い。
 っていうか、セパレートだって今まで着たことないのになあ……
 こうして手にとって、じっくりと眺めてみるのも初めてのことだ。
 これ、どうやって履くのかな……
 うわっ。サイドはひもで縛るだけなの? もし、ほどけたらどうすんのよ……
 こんな水着を考案したのは、絶対スケベなエロ親父だ。
 賭けてもいい。

「由真、まだか?」
「も、もうちょっと……」

 慌てて水着に着替えながら、たかあきに答える。
 もう、うるさいなあ……誰のためにこんな思いをしてると思ってるのよ……
 苦労してやっと水着を身に着けたあたしは、試着室の鏡で全身を確認する。
 うわあ…… こんなの、ほとんど下着だよ……
 たかあき、これ見たらなんて言うのかな……
 もし笑ったりしたら殴ってやる。
 もし似合うなんて言われたら…… や、やっぱり、殴っちゃうかもしれないなあ……
 もう一度、サイドのひもがしっかり結べていることを確認してから、あたしは試着室のカーテンを開けた。



「お待たせ、たかあき」
「お、おう……」

 試着室の外で、一人待っているたかあきが、こちらを振り向いた。

「ど、どうかな……? 似合う?」
「……」
「な、なんとか言いなさいよ……」
「す、すごく……」
「すごく?」
「す、すごい……」
「あ、あのねえ……日本語でしゃべってよ……」

 あたしが何を聞いても、たかあきは、『おお』とか『うむ』とか唸ってばっかり。
 じっとあたしのことを見つめている。
 もう……
 そんなにもじっと見つめられると、なんだか頭の中がくらくらしてくる。
 手で身体を隠したいのを我慢して、カーテンの端を握り締める。
 お願いだから、そんな舐めまわすような視線で見ないで欲しい……

「まあ! とってもお似合いですよ。すごく素敵です」
「あ、ありがとうございます……」

 いつの間にか近づいて来たお姉さんがそう言ってくれた。
 少しだけほっとする。
 まあ、でも店員さんだから誰にでもこう言うんだろけど。
 それでも、こんな着慣れないもの着たときには、一言ぐらい言葉が欲しいものだ。
 それを全く分かっていない男がここにいるみたいだが。
 そのたかあきはと言えば、未だにあたしの身体を見つめている。
 視線が身体に突き刺さる。
 もういい加減我慢も限界。 これ以上このまま見られていたら、倒れてしまいそうだ。

「ご、ごめんね……もう、着替えていいかな?」
「…………」
「た、たかあき?」
「あ、ああ……何?」
「だから着替えるって……」
「あ、ああ、そうか。わかった」
「う、うん……ごめん……」

 うう……なんであたしが謝らないといけないのよ……
 絶対殴ってやろうって思ってたのに、たかあきの視線を浴びてたら、すごく恥かしくて、”ごめんね”なんて言葉が出てしまった。

「あんまりじろじろ見てたらいけませんよ、彼氏さん」
「す、すいません……」

 お姉さんが、たかあきに注意してくれた。
 ぜひ、その辺をしっかりと指導してやって欲しいと切に願う。

「まあこれもきっと、彼氏さんの愛情ゆえにのことですから、許してあげてくださいね? 彼女さん」
「愛情だったらいいんだけど……ただ欲情してるだけかも……」
「まあ」

 お姉さんはうふふと笑っている。
 ほんと、よく笑う人だな。

「で、どうします? この水着。お買いあげなさいますか? 今ならサービスいたしますよ?」
「えっと……どうしようかな……」

 買うのか買わないのか。
 もう、覚悟は決めていたつもりだったけど、やっぱり少しだけ迷ってしまった。
 





 さて。
 そんなこんなで、あたしとたかあきは水着売り場を後にした。
 普通の服に着替えてやっと一息ついたあたしは、買い物袋を下げて帰り道を歩いている。
 ああ……今日はほんとに疲れたなあ……
 家の近くまでたかあきが送ってくれると言うので、お言葉に甘えておいた。
 でも、たかあきにはあたしに聞きたいことがあったみたいだ。

「なあ、由真……」
「なによ」
「水着、結局どれを買ったんだ?」
「あ、あの青いやつ」
「そ、そうか……」

 たかあきは、あたしの答えを聞いて、何事か考え込んでいる。
 きっと水着の色を思い出そうとしているのだろう。
 実はたかあきの質問を、あたしはわざとごまかした。
 青いやつ、と言ってもいろんな水着を選んだから、たかあきにもはっきりとは分からなかったはずだ。
 今、あたしの買い物袋の中には、水着が二枚入っている。
 ビキニの方を着ていこう……と、自分では決めているんだけど……
 どうしても決心が着かなくて、安い予備の水着も買った。
 はあ……勇気、出せるかなあ……

 あのとき、たった数十秒見つめられただけであんなにどきどきしたのに。
 一緒に海に行くことになったら、あの水着で半日はたかあきと一緒……
 その時のことを思うと。それだけで頭がくらくらする。

 でも、なんとか頑張って勇気を出そう。
 だって、今年の夏は特別な夏にしたいから。
 最初から、たかあきが選んでくれた水着で海に行こうって、決めてたから。

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   以上が『あなたのために選んだ水着』です。読んで下さった方が居ましたらありがとうございます
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